溢れろ僕の涙、僕の威厳のために。(詩を写す。第五回、小沢健二・前編)

ありとあらゆる種類の言葉を知って
何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!
小沢健二 / ローラースケート・パーク

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「犬は吠えるが、キャラバンは進む」という言葉は、
フランスの作家アンドレ・ジッドが、アメリカの作家トルーマン・カポーティに、
「批評家の言うことなんかいちいち気にしないで、自分の仕事をしっかりとしなさい。」
と諭す為に教えた、ロシアのある民族に伝わる古い諺なのだと謂う。

気まぐれ連載シリーズ、「詩を写す、第五回、小沢健二」。
今回はスペシャル前後編にて、お送りします。
(通常リリースの歌詞篇は除く。)

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画像



小沢健二 / 火山の口から メキシコの「天気の人」が語る 序文 (2008/春)

 昔話の世界では、犬が人を守ってくれたり、ばけものが空を飛んできたり、
木が人に話しかけたりする。そういう世界に住んでいない人たちからは、
「昔話の世界は、もう失われてしまった」という、悲しそうな声が聞こえる。
 計算することなどできないけれど、僕は地球の面積の九割くらいは、まだ余裕で
「昔話の世界」なのではないかと思う。動物や植物や神々やばけものが、土の上で、水辺で、
人と係わる場所。そういう場所は、都市が建てられてしまった場所とは、大きく違う。
いわゆる「開発途上国」を旅していると、割としじゅう、昔話の世界に足を踏み入れる。
そこでの掟は、文字と数字で埋めつくされた「先進国」の、ぼんやりとした常識とは、全く違う。
そういう場所に「開発のための投資」が入ってくると、昔話の世界は、投資と激突する。
開発のためにブルドーザーで土が壊される、という話だけではない。
開発のために、人の生活が変えられてしまう。現金がないと生活できない仕組みが、
社会にしみ込んでくる。人々は神々や動物や植物から切り離されて、
「そんなものは古い信仰だ。山岳信仰って言うんだ」なんて、生意気なことを言うようになる。
どうやらそうなると、昔話の世界は、壊れていってしまうらしい。よく説明できないのだが、
できるはずのことが、できなくなってしまう。起こるはずのことが、起こらなくなってしまう。
その地域に住んでいる人たちの多くが昔話の世界を馬鹿にし始めると、昔話の世界は
支えを失った家屋のように崩れてしまう。そんなことが起こるらしい。
ドン・アントニオの住む場所は、そういう状況に危ないくらい近い。
どんな「開発」が彼らの土地を脅かしているの?と思う人は、例えば「プエブラ・パナマ計画」
Plan Puebla Panama という言葉で調べてみてください。日本の国家・企業も関わって来た、
大きな開発計画です(反対運動のために、今は色々と名前を変えています)。
ドン・アントニオは肉眼で見ると、稲妻のような色の男です。その稲妻のような男が語るのは…。

小澤 昔話研究所 site

http://www.ozawa-folktale.com/

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最近、小沢健二の連載、「うさぎ!第十一話」を読み。以前に一度目を通した、
社会臨床雑誌第14巻第3号での論文、「企業的な社会、セラピー的な社会」を読み直し、
またいろいろと考えていた。それから、なるたけ多くのサイバー・スペース上の、
彼の活動にまつわる意見や感想に目を通してみた。それでまたいろいろと思ったのだが。
やっぱり彼のやり方で、自分が一番、共感し得る点は何かと考えてみて思うのは。いつでも
反骨心バリバリで。痩せの大食いってトコなのかもな。と思った。権威的なモノに身を寄せない。
あくまで自分を信頼してゆく。かつ、そのグツグツ煮立った鍋の旨味を皆に食わせて、
「ほら、美味いでしょ?滅茶苦茶一生懸命作ったんだから当たり前じゃ、ボケ。」
みたいな一発を、相手の土手っ腹に一発カマすのだ奴は。態度。やっぱコレ、大事ね。
自分の創造のナイフはどんな切っ先で、研ぎ方はどんなだか。斬ったらどんな風に斬れて、
弧はどんな放物線を描くか。そういう事を狂う一歩手前まで考えてる男だと、改めて思うなあ。
それで。最近の彼の文章はしこたま読んで来たので。少し前を振り返りつつ…。
あ、なんだ。こん時にも、あん時にも。もうこう言うこと、言ってたな。と思う。

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The dogs bark, but the caravan goes on. 1993 TV神奈川

http://jp.youtube.com/watch?v=yfQSbEPIaBI&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=9KzdSxCX4Bc&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=faDLeqNq8bo&feature=related

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「自転車疾走シーン」

僕 風を切って力いっぱい ペダルを踏んで駆け抜ける
真っ直ぐな道がずっとずっと続くよ 雨がはじけて綺麗だね
僕の自転車は 水しぶき立てて走る
僕の自転車は 気持ちよくかけて走る

つまんないこと 何だかやなこと わけもなくいらいらする事
みんな自転車が追い越して 僕の横を流れていく

「ピロー・トーク」

言い間違いをして もどかしい思いをする
太陽の下 暑い砂を踏んで歩いた
家族の中での役割は正確に作り
夜になり 暑くて人気の無い通りにりんごの香りがする
君は犬を撫でてしゃがみこんでいる
夜空に花火が上がり 弾けて 緩いカーブを描く
静かに 友達を起こさないように

「甘夏組曲」

恋をするなんて嬉しいじゃないか
せっかくのチャンスを掴みたい
メチャ浮かれた僕のために飾っとく花と花瓶
その色はペパーミントグリーン
ああ体にヤバすぎる胸の鼓動は何

いつか手に入れたいな魔法の力
君が僕にそっと振り向いてくれるようにね

甘夏なんて剥いたりして縁側で夜まで話したい
通りすがる猫のためにポケットに猫じゃらし
その色はペパーミントグリーン
時計の針は少し遅らせとくからね 4時間かそこらだね

いつか手に入れたいな魔法の力
君が僕にちょっと振り向いてくれるようにね

砂漠のガゼルか海でいやイルカ
さっさと逃げ出す僕だけど
今日はいっちょ肝心にいくつもり

そしていつか遠い町で寒いねなんていいながら歩く
金曜日あたり夜の7時ポケットに猫じゃらし
その色は青々とグリーン
紙吹雪舞い上がる橋の上のあたり ロマンス駆け抜けて

いつか手に入れたいな魔法の力
それは闇に光る夜霧 胸にかかる優しい虹
君が僕にちょっと振り向いてくれるならね

いつか空には虹が これが魔法か
闇に強く光る夜霧 胸にかかる優しい虹

君が僕にちょっと振り向いてくれるならね

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小沢健二 / その他 詩篇・散文

DOOWUTHALIKE
(=勝手にしやがれ。お気に召すまま。)

「レストランのジャバ」

レストランのジャバ
エクレアってのは稲妻って意味で
稲妻みたいにスバヤク食べないと
カスタードがはみ出ちゃう
はみ出ちゃうよ
ワオ
お行儀いいのはいやなンだ

今後はホクロをラブリーと呼ぶ
これからはホクロのことはラブリーって呼ぶことにするよ

そしたらね、例えばね

刑事が犯人を追っていて 無線にむかって叫ぶンだ
「手配中の犯人は40歳前後中肉中背で
緑色のジャケットを着ている特徴は左頬のラブリーだ!」

そう叫んでいるベテラン刑事の肩の上にラブリー
無線を受けて汗をかいて走る若い刑事の二の腕にラブリー

ラブリーをもって生まれた子は だいたい子供の頃はラブリーが嫌いで
鏡をじっと見ては「無くなっちまわないカナ」って思うのさ

或いはラブリーの位置が気に入らなかったり他人のラブリーを羨んでみたり
もちろん中には 最初っから自分のラブリーが好きな人もいるのさ

ねえ、仔猫ちゃん?もう僕の言ってること分かんなくちゃいけないよ

猫に名前をつけるなら

僕の仔猫ちゃんは
部屋に帰ってくると
「ボンドさァん」
とか言って愚痴なんかこぼしてる
僕はうれしいことがあると
ボンドさんの手をとって踊る
悲しいときはボンドさんの背中で涙を拭く
そしてボンドさんは
時おり僕らのケンカの原因になったりするのだ

「グッド・タイムス」

グッド・タイムスについては
古くから
哲学者 経済学者
といった大学関係者のみならず
芸術家 宗教家
引退した小学校校長も参戦するなど
さまざまな角度から研究が続けられてきたが
これといった成果が上がらず
研究者たちは
意味もなく遠くまで買い物に出かけたり
思い思いのポイントで
釣りを楽しんだりしていた

「連作・決定的瞬間のジャバ」

すごいね 濁流
これで堤防なんか決壊したら
笑い事じゃ済まないね

ウソ
まじ?
決壊?
来た?
水?
ワーー!
流されちゃうよ
流されちゃうよ
ワオ(流される)

竜巻のジャバ

テキサス州では
竜巻が襲って
アメリカ人たちが大騒ぎ

飛ばされちゃうよ
飛ばされちゃうよ
ワオ(飛ばされる)

フィエスタのジャバ

続いてスペインから
おなじみフィエスタの模様
爆走する牛の群れに追われて
男たちが逃げまどう

踏まれちゃうよ
踏まれちゃうよ
ワオ(踏まれる)

カーレースのジャバ

つっこんじゃうよ
つっこんじゃうよ
ワオ(つっこむ)

モーターボートのジャバ

ひっくり返っちゃうよ
ひっくり返っちゃうよ
ワオ(ひっくり返る)

稲妻のジャバ

うたれちゃうよ
うたれちゃうよ
ワオ(うたれる)

おならのジャバ

しちゃいないよ
楽んなるよ

プー

「リラックス・ベイビー・ビー・クール」

おれは12月のひだまりの中で
ワインの瓶を手に持って飲んでる

おれは公園のベンチに座って足で地面に模様をかいてる

ハーヴェイ・カイテル

ダジャレはいいから

唾をたらすと土の上で丸くなる
糸をひいた唾の残りが
風に吹かれて頬にくっつきひんやりとする

走ってきた犬をおれは撫でる
硬くて短い毛がアザラシのようだ

逆さに撫でると手に刺さるようだ
逆さに撫でるといやがるようだ
しかし結局は
おれの手の匂いをかいだりしている

やがて犬はどこかへ行ってしまう
おれは映画を見に行くことができる
おれはマリファナを吸うことができる
おれはモーツァルトのカセットテープを買って
家で聴くことだってできる

おれは本を読むことができる
スウィフトやポオなんかを
いつもすぐ飽きちゃうけど
おれはハンサムなので
女の子を連れて帰って
オ・・・することだってできるだろう
おれはデパートへ行って
きれいなコップを2コ買って帰ることができる
おれは片足跳びで帰ることもできる
おれは口に含んだワインを
よく温めてから飲むことができる
おれは死ぬことだってできるんだろうな
だけどそれは
おれにできるたくさんの事柄のひとつに過ぎないし
その中で
特に魅力的なことって訳でもない
おれはこのままだらだらと
生き続けるのだ

おれは手紙魔になることができる
おれはテレビでボクシングの試合を見ることができる
おれは毛布にくるまって眠ることができる
あれは実にいいな
それにもうすぐ
クリスマスだってやってくる

おれは雨が降ると自分に審判が下るのが
少し先延ばしになったように感じることができる
おれは地下鉄に乗って
ケツにおできができるまで
一日中往復をくり返すことができる
おれはもう少し髪を伸ばすことができる
あんまり長いのは嫌だけどな
おれは…

おれはおれの心に
まるで小さな猫にやるように
あったかなミルクを与えてやる
少しずつ むせないようにね

リラックス・ベイビー・ビー・クール

「鹿のしっぽはプラナリア その他二編」

鹿のしっぽはプラナリア
おれは全裸の怪人だ

お慶び申し上げます

「子守歌リーグ」よりお慶び申し上げます
ドの次はレ
レの次はミ
ミの次はファ
ファの次はソ
ソの次はラ
ラの次はシ
甘ったるい音程にて
お慶び申し上げます

「山登りユナイテッド」より
お慶び申し上げます
ワッセ
ワッセ
酸素欠乏による興奮状態をもって
お慶び申し上げます

「ドアノック協会」より
お慶び申し上げます
右!
左!
右!
左!
右!
お慶び申し上げます

「グラシャーノ登場」

グラシャーノって呼んでくれ。今回は小沢に替わって途中出場のスーパーサブといったところ。
さあグラシャーノ、前線でボールを受けDF2人をかわしシュート、
しかしクロスバーに当たって跳ね返ったところをヘディングで押し込み
ゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴル!そう俺の評判と言えばまずキープ力のあるFW(前述)、
感動的なオペラ歌手、空想力に富んだSF作家、結構な大食漢、驚異的な背筋力、
渇水時の台風(比喩的に)、孤高の詩人(俺を珠玉のスプマンテと評したシェイクスピアを除く)、
好色家、完全主義者、協力的な反逆者(最もタチが悪い)、しかもこれらは
頭韻がKではじまる一連の評判に過ぎないし、それが例えば二重のK になったとしても、
気さくな狂人、気ままなキチ◯イ、懇意な殺し屋、完投型革命家、画期的格言家、
と俺の饒舌には何の妨げにもならない。格言と言えばこの間「女の子はベッドの中で裸にすると
見分けがつかなくなる」と言ったらひどく怒られたが、あんなに怒られたのは実際カノッサ以来のことだ
(再びK)。そうだ、言い忘れたが俺は教皇でもあった(三たびKであることに注目しつつ本題に戻る)。
しかし、俺は問う。「あなた、キリンの見分けがつきますか?」(四たびK)。
そう、見慣れないものを見分けるのは非常に困難なことなのだ!そう考えると、
裸の女の子を見分けられないとは何たるウブな魂、グラシャーノ!(U でいく)噂にたがわぬ、
浮き世離れした(再び我が友人シェイクスピアを除く)、嘘も裏表も無い、
うるわしきグラシャーノ!そう、グラシャーノとは
GRACIOUSすなわち、「うるわしい」という意味なのだ。

”満腹は平和の礎、
空腹は戦争の火種、
おおいやだお腹がすいているなんて!”

名うての「ドゥーワチャ」派詩人グラシャーノ。
難解な修辞家、似合いの結婚相手、
もし貴女が 「グラシャーノ!」と声をかければ俺は間髪入れず答えるだろう。
「何だね、お嬢さん!」そして前掲の歌を口づさみつつレストランへ向い、
給仕頭に完璧な微笑みを送り席につくと、
溢れるような詩的フレーズの天啓に身をまかせこう歌うのだ。

”冗談じゃない
スプーンを使ってスパゲッティを食うなんて!
壷にでも入ってない限り
そんな食い方をしてたまるか!”

それを聴いたミシガン州から来た老夫婦が俺に尋ねる。
「あなたはもしやグラシャーノ?」
そこで俺はニッコリと笑って(この微笑のせいでいつも17才に見えるのだ)
もう百万遍も繰り返した例の答えを再び返すことになる。
即ち「それ以外ではございません」と。

「独占インタビュー この男はなぜ連載を落とすのか。」

僕は音楽が本職だから、こういうすごく忙しい時期になると、やれないんですよねー。
そんで落としちゃって、LIFE IS A SHOWTIMEとか言ってごまかす。
でもね、やっぱそれくらい僕は音楽をちゃんとやろうとしてるから。
もう僕しかできないことしかやる気はないし。
すんごい自慢げに聞こえるかもしんないけど、僕のレコード聞いて、
他に似たようなのって絶対見つけられないと思う。
『LIFE』以降の僕の音楽に似たものなんて無いと思うよ。
すうごい自信みたいだけど、でもそれだけの努力を僕はしてるから。
僕はちゃらけたふうにはやってないから。時間や体力をすり減らすもの。
誰より一生懸命やってるもの。『LIFE』とかは実際のレコーディング時間はすごい短いんだけど、
だけどそれに見合うだけのことはやっぱりやってるんですね。
努力とかしない作品って、好きとか嫌いとか以前に問題にならないって感じ。
よくね、天才だとか、『天才バカボン』にコメントを依頼されるくらい言われるけど(笑)、
天才でも一生懸命やらなくちゃ話になんなくて。そこでズルはちょっとはしてると思うけど、
でもそれを埋め合わせるくらいの努力の部分もめちゃくちゃでかいもの。100倍くらい。
最初になんでやろうと思ったとか、どういうものを作ろうと思ったとかっていう時点で努力とかは
何にも関係ない世界なんだけど、それをあとで自分が聞いてもいい感じのものにするためには、
あたりまえだけど、努力しないとね。
人の言う意味での努力はなんもしてないから。ノートつけてるとか、こつこつやるとか。
そういうタイプの努力は合ってないからしない。
完璧主義っていうかね、なんか、宝物みたいなかんじがする音楽じゃないといやなの。
僕にとって。でもきっと人にも伝わるな、って思って。
で、そういうの作れば何回でも繰り返して聴いてもらえるでしょ。
僕のはそういう感じがいいなって。あーあ、派手に言い訳しちゃった。

「SPECIAL」

本を読んだり映画を見たり、友達と遊びに行ったり、
君の心の扉を叩いてくれる「ドアノック体験」を毎日探さなくっちゃ。
扉をたたいてくれる人やモノに対して 思い切って心を開くことも大切。
それか時には「3匹のこぶた」のごとく、ぜったいにドアを開かないことだって大切だ。

「ドゥーワチャライクを探して 東京・渋谷」

口を大きく開けると鼻の穴もひろがる。
歩きながら手軽にできる健康法のひとつ。

背伸び、あくびは動物の証拠。
犬猫と同じ幸福を味わったら街へ出よう。
散歩しない動物などいないのだ。

気に入った看板やマネキン。
真似してポーズをとってみよう。
人目を気にするくらいなら死んだ方がマシ。

ワキ見しないで歩けるか!
ワキ見は自由人の基本。
しかしモデルはこの5秒後通行人に激突。

「4×5=20」

はあ…
ふう…
あ、円盤だ。
調子でない時ってありませんか?
あくびは出るし…
食事のあと口を拭こうとしても…
これじゃダメ
これもヘン
ごちそうさま…(このままじゃ行けない…)
そんな時は銀座でも行くんです。(またしても円盤)
高笑い
うれし泣き
道行く人の声援にこたえつつ…
デパートへ!
かぶらないで!!
内装を楽しみつつ入店。大阪の大丸とかもいいんだよな。
ほんとは店内撮影禁止なんですけどね。
よしっ、じゃあ今日は最近気にいってる格言でしめくくろう。それはね…。
"ボーダーから出直しだ "

「疑ってみよう」

ヒマだ!ヒマだ!ヒマだ!
そんな時何をしたらいい?
善人でいるのは辛いもの
正直者ならなおさらだ
時には身近な人たちを
疑ってみよう!

まず疑ってみたいのは、
君の家がテレビの視聴率の対象家庭じゃないかってこと。
普通視聴率調査の対象になってる家庭というのは、
自分たちが対象家庭だというのを、世間にはひた隠しにして生きてる。
子供たちには20歳になるまで自分の家がそうであることを教えられないし
(子供たちはおしゃべりだから)、
一般には公表されてない「視聴率調査省」の厳しい管轄下にあるから、
お父さんは外でお酒も飲めない。もちろんお母さんもだ。
だから調査家庭にはキッチン・ドランカー
(台所でこっそりお酒を飲んで、アル中になっているお母さん)が多い。
従って
●お父さんが外でお酒を飲まない
●お母さんがキッチン・ドランカー
●20歳を過ぎたお兄ちゃんが妙に優越感を持ってるみたいだ
●テレビの横に、扉で白で「?」マークが書いてある黒い箱が置いてある。
(中に調査機が入っている可能性大)
右のうち2つ以上あてはまる家庭は、
視聴率調査家庭である可能性があるぞ!
(喋ったら調査省の人に光線銃で焼き殺されるので注意)

「オザケンのこと」

オザケンは時々
もしオザケンがオザケンの音楽の受け手に直接会ったら、
マスコミを通さずにじかに会えたら、
相手が男でも女でも幾つでも
絶対オッケーな人なのにな
とか思う。
それでハッと思って
作品を通じてならそれができるかも
とか言って、また歌詞を書き始めたりする。

「3才からのボーダー」

ずーっと着ていると言えば横じま。
横じま?ボーダー?僕は「3才からのボーダー」である。
高校生。生まれてはじめて制服を着る。
これがもうどうしたらいいのか全然わからん。
制服なんか
はじめっからどーやったって制服なのだ。
まあでもいろいろ工夫して、あとで恥ずかしいってのがいいかもな。
そういうのが「ブンガク的」だし「生きてるって感じ」だと僕は思うよ。ほんと。

「たまにはいいでしょ、たまにはね。」

それで僕は思うんだけど、たとえば僕が一生懸命本を読んで、
誰かが一生懸命スポーツをしてる時、僕らは
同じことをしてるんですよ、きっと。えーと同じことを探求している、
というか。たとえばある球があって(何の話なのよ?)その体積を測る時に、
水張ったお風呂に沈めて測る人、直径測って測る人、いろんな人がいるけど
結局答えはだいたい同じなように方法の違いってのは別にどうでもいいんですよ、きっと。

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン(意味ナシ)。」

アラビアンナイト!千夜一夜物語!「痛快ウキウキ通り」を聴いた人は、
突然歌詞の中にでてきて、ン?何の話なのよ、と思ってるかもしれません。
で、アラビアン・ナイト。僕も有名な話しか知らない。
面白そうだから全巻買ってはみたものの、部屋のスミに積んである。
アラジン?呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン?
東京12チャンネルとか朝やってるアニメーションとか、
いいとこディズニーの"アラジン"とか思っちゃうくらいで、そりゃあね、コホン、
食事のおともに文庫本持っててめくったことくらいありますけどね…。
そんで当たり前だけど、あれ、別に1001の物語が語られてる訳ではなくて、
あ、そんな風に思ってる奴はいねえか、1晩に語られてる物語は前の晩の続きで、
終わりは次の晩につながってるんですよ。
だから1晩の物語は終わりもなくて始まりもない、あれ?
何の話なのよ?というくらいのものなんですよ。

で、生というのはそんなようなもんなんじゃないかと。

そんで「長い長いアラビアン・ナイト/ほんの一夜の物語を行こう!」ってな訳です。
めずらしく歌詞の解説なんかすると。

「レヴュー96」

僕はコンサートをやると、なんていうか、敬虔な気持ちになるんですよ。
僕らの生きている時間が一瞬交差する。
そこは言って見りゃ人生交差点。うーん、だめだこりゃ。

"喜びを他の誰かと分かりあう!それだけがこの世の中を熱くする!"
おう!熱くするともさ!大きい会場だと"他の誰か"が 1万人とかいるんだからね。

僕らは同じ時を生きてる訳だが、なかなか会う時がない。
あなたが開場に入ってあたりを見回すと、お、あいつはかなりいい奴だ、という奴に出くわすであろう。
しかしそいつとはたぶん人生で一回くらいしか会わない。それぞれの暮らしがあるって訳だ。

それぞれに美しい人生があるのだ。

「オザケンに出会ってしまったら」

CDを作ったり、テレビに出て歌を歌ってる時、そういうことをするのって、
1対∽(無限大)の関係にあるんですよ、たぶん相手とは。だって誰が聴くか、
誰が見るかなんて分かんないでしょ。 少なくとも僕はそう思ってます。
でもそれが実際に、そうだな例えば薬のように?
はたまたあまーいパフェとかなんかそんなもんのように?
作用するのって、絶対に1対1か、せいぜい1対4とか、なんかそのくらいの規模だ。
ある時に、ある場所で、ある人が聴くか見るかして、 その時の今現在に作用する。
大きな規模で(例えばテレビとか)送られたものでも、
それを感受するのはまったく小さな規模の(個人とか友達同志とか)顔のある、
1人ずつオリジナルな顔を持つ、本当に生きている人なんだなと思いますぅ(語尾意味ナシ)

たまに「大衆」とかいう言葉を使って、なんか分かったような事を言ってる人がいますが、
僕はそんな、「大衆」とかいうノッペラボーの巨人、
「ゴーストバスターズ」に出てくるマシュマロマンのような人を連想するが…、
そんな人がいる訳はないと思っているんですよ。

もうほんと、いっつも1対1なんだと、思ってんですけどね。

で僕という1は、その相手の1と、おう!結構"他の誰かと分かりあ"えてんじゃん!
と思うことが多いんですよ、実は。

だってよく街歩いてて、すいません握手して下さい、とか怖る怖る頼んでくる奴に限って、
パッと顔見るとかなりいい顔してる。一目見ただけで、おっお前絶対いい奴な、って感じの顔が多い。
あれ?オレがだまされてんのかな?オレが人いいだけ?

(ちょっと悩む)

いやそんな筈はない。ぜったい多いんです。いい奴が。
で、そういう時ってほんと、いつも1対∽でやってる事が、1対1で作用してる、
その1の顔が見えて、ハッと思って、なんかドキッとするし、いい感じなんですよ。

現在を分かちあってる相手の顔が見える訳です。

「済まない気持ちはサルにもあるとか言うけれど」

テレビの歌番組に出るのは、別に曲の宣伝とかではなくて、
それも1つの作品だと思って、つまり他の誰かとのコミュニケーションそれ自体だと思って出ている。
僕や僕の曲を知ってほしい、とかいう理由で出ているのでは全く無くて、
その瞬間を、音楽を通じて誰かと分かちあおう、と思って出ている。
たまたまテレビを見ていた人と。それを入り口にして、僕のCDを聴いてもらおう、
とかそんな風には思わない。CDを聴いてくれたら嬉しいけど、聴かなくたって、
テレビを見ていた瞬間に感じたことが減る訳ではない。

「ぼくの叔父さん」

「現役バリバリの日本代表キャプテン」に「ユース代表の問題児」ごときが
何を言ってやがんだと思うかもしれないが、全然「競技種目」が違うにもかかわらず、
それは表面的な「音楽をやってる」とかそういう事ではなくて、
表現を人前に捧げるその姿勢、とか言えばいいのか、なんかそんなよーな抽象的な、
でも根本にある姿勢が、僕は小沢征爾さんにすごく似ているんじゃないかと、ある時思って、ドッキリした。
それにしても駆け出しは駆け出し。叔父さんはこれからも芸術家として成長を続けながら
たくさんの人たちに生命が震えるような感動を与え続けるだろう。
そんで僕は?僕の「音楽武者修行」を、今一生懸命続けてるってわけだ。

「コンサートを終えて」

うーん、でもやっぱり、体感したことを、
それ以外の方法で表現しようとしたって無理だよな、基本的に。
そういえばそれに似たことが、今回のコンサートの中であった。
曲の途中で、大観衆1万人くらいが一斉に特殊な紙吹雪を投げる、
というシーンがあって、そのシーンが毎回恐ろしく感動的で、
もう1分くらい紙吹雪に包まれてる様な気がするんだけど、後でビデオを見るとあれ?って感じで、
実は時計の時間で言うとほんの5秒くらいの出来事で、ビックリする。
アメリカ人の照明スタッフなんか、初日が終わってアメリカ帰って奥さんに、どうだ!
なんて勢いこんでその部分のビデオを見せたらWHAT?なんて言われちゃったらしいし、
あれおかしーな、と体感した後でビデオを見た皆んながそう言っていた。
人間にとって時間は、時計の針が進むように均一に進むのではない。

本当にコンサートでは、たくさんのことを感じます。
でもその、なんというか本当に言葉で表現しても上手く言えないので、細かくは書かないことにします。

「流れ星ビバップ」という僕の曲があって、
えーと流れ星ってのは願い事を口に出しては言わないで願い事をかけるものでしょ?
口に出したって間に合わないし。で、そのことの様に、
もどかしくイライラとしながらも「口に出さないこと」「黙っていること」「もう子供じゃないなら」、
というのが通称「ビバップ」こと「流れ星ビバップ」の主題で…。

コンサート本編の最後にやったその曲に倣って、
感じた事や感謝したいことは一杯あるけど、黙っていることにします。

皆さん素晴らしい時間をどうも有難う。

「失敗について」

失敗とは上手く付き合わなくっちゃダメだ。
それは宝くじの当たりみたいに、必ず入っているもんなんだから。
一番ダメなのは笑ってごまかしちゃう人。失敗を笑ってごまかして、
成功にマジメな顔して何か意味を持たせよーとする人。
そんなダサい人に僕はなりたくない。

成功こそ笑ってごまかしてしまうべきだと思いませんか?

失敗はもっと、ブルー入ったり、反省したり、一瞬でネガポジ逆転したり、
おおっぴらに やるのは変だけど、内面的には、ちゃんと味わわれるべきものだと思う。

「お小遣いは少ない方が」

ほんと子供ってお金が好きだ。齢をとってもお金が大好きな人って、
要するに子供のまんまじゃねえのかと思う。だって子供の頃、
アレが欲しいとかコレが欲しいとか、アイツのアレはいいなとか、
なんで大人は毎日ビール飲むのかな、そんなら僕も毎日ジュース飲みたいぜとか、
そんなことばっかり思わなかった?「100億万円」とかすぐ言うし。
でも子供ってそんくらい即物的で、アニマルで、そんなもんでいいんだと思う。
子供のうちから「心が大事」とか思いはじめたら、それはちょっと可哀そうな気がする。

それで僕はアッサリ「アレは欲しいコレが欲しい、アレやりたいコレやりたい」みたいな子供だったから、
そのほとんどがお金で解決できる問題であるにもかかわらず、そのお金が無い訳だから、
なんとか代案を考えようとしたのである。そんで無い知恵を絞って考える。
想像力を使う。結局珍妙な結末に終わることも多かったが、
なんとか実現しようとするその行為自体が、実はスバラシー宝物であったのだと思う。

「美術館でも行くか、日光浴でもするか。」

自分の音楽が「ワン&オンリー」と言われるれば、嬉しいけど、それに、
もっとそうならなくちゃいけないなあ、とも思うけど、僕は、本当は誰でもが、
顔や声が違うように、ワン&オンリーな存在な筈なのだと思う。本来は。
でもなぜか、真似したり、規制されたり、自分で規制したりして、似かよってしまう。
それだけの事なんだと思う。

いきなり物凄くマジメな話になるが、例えば『オリーブ』を毎号続けて読むことは、
自分に対して、一つの規制をしているのだと思う。

あの、それが悪い、と言ってるのではないですよ。
「規制」というのは必ずしも悪い言葉ではなくて、『オリーブ』を毎号続けて読むことが、
こういう感じを忘れないようにしよう、とか、そういう風に積極的にとらえられていれば、
それはすごくいいと思う。 僕だって、毎号書き続けていつのは「規制」なのですが、
その度に、気持ちをきちんと置いて、何かいいことへのチャンスにしようと思っています。

しかし本来は全員ワン&オンリー。全てがワン&オンリー。

それに遠くに旅行したりすると感じると思うけど、規制なんて本当はないのですよ、
きっと。自分でその規制を選んでるだけで。本来は脈らく全然なくってオッケー。デタラメで普通。

だからきっと「ワン&オンリー」は、探したり、作ったりするものでは決してなくって、
種を嵐から守って、日光と水を与えて発芽させるように、発現させるものなのではないかと…。

「俺たちはファンである」

球を前の方でバン、とさばく。球にグリグリと回転をかけずに、
真っすぐな、スッと伸びる球を打つ。
それがネットぎりぎりを越えて、コートの隅へ、深く入る。
真っすぐなテニス。真っすぐな芸術。伊達さんはそういう感じだ。
真っすぐな生のイメージ。

真っすぐな生のイメージ。伊達さんはそんなものを人に感じさせる訳で、
そうなると、これは絵とか、物凄くきれいな風景とか、そういうものと似ている。
やっているものは「競技」であっても、ある選手は他の選手たちと似なくなり、もっと崇高なものになる。

難しいかなあ。でも僕は、それが本質だと思うんだけどなあ。物事の。

「白飯、白飯」

それにしても日本の白飯はおいしい。
僕は家で家族と住んでいた頃、ジャーでご飯を炊くことは許されず、
ぶ厚い鉄鍋でご飯を炊くように躾られていたが、
炊き上がったそれは感動的に美味しく、結婚でもして子供が3人くらい出来た状況で、
よし、とか言って立ち上がって鉄鍋に入れたお米をサラサラと磨ぎ、
勿論目分量で水を注ぎ(これは今でも絶対に出来る自信がある)、
みごとなご飯を炊き上げて、母さんも子育ての手が少し楽になったことだし、
今後我が家ではご飯は必ず鉄鍋で炊くようにする、とか宣言して、
白くなった髭をピン、とかするのもいいなあ、とか思っているが、何を言ってるんだっつーの。

「風鈴でひとねむり」

昼寝というのは、忙しく回っている世の中に、
一瞬の隙を見つけてそれにつけこむということである。眠りを盗む、という感じである。
野球の「盗塁」みたいなもので、昼寝は「盗眠」なのである。きちんと塁に出たのではない。
だから学生時代ならば先生に怒られたり、 社会人ならば電車に乗っていて、
終点で車掌サンに起こされたりするのは、盗眠がアウトになった、という例である。
やはり自発的に目を醒まして、しめしめ、今日も盗んでやった、というのが成功した昼寝である。

「すかさずお茶を入れろ」

世の中には、すかさずお茶を入れる、というタイミングが存在するように思う。
まあ大体は、甘味なんかを買った時かな。暇な日に、
友人がボタモチなんか持ってフラリと現れたら、これはすかさずお茶を入れて、
アッハッハなんて談笑し、勢いに乗っておろしソバでも食べに行きたい。

そしてソバと言えばサイダーで、サイダー1本くらい飲んでソバもひとしきり終わったら、
今度はソバ屋さんの方がすかさずお茶を入れるタイミングである。僕らはおとなしくそれを飲む。

そんなソバ屋さんの仕事も夕方には終わる。また明日、
なんて云ってねばっていた常連さんを帰すと、チャッチャッと片附けを済ませて、
電気を消して、座敷の縁にふぅ、っと座る。ここでもまたお茶を入れるタイミングである。
入れるのはだいたい奥さん辺り。洒落こんで烏龍茶なんかを入れることもあるが、
特別いいお茶じゃなくたっていいんです。

銀婚式や金婚式の夕方。人生に2度くらいしかない、お茶を入れるタイミングが訪れる。
勿論旦那さんの方の出番だ。別に式なんて無くたって好い。
お互いに確認することたんかも無いだろう。 食事を済ませた後、お茶でも入れるか、
と云って旦那さんはお茶を「入れる」というよりは「淹れる」という感じで、急須にお茶を注ぐのだろう。

「お腹がすいた」

食べ物について言われることは、ほとんど全部詩である。
たぶん僕らが、あれが旨いこれがうまーい、と話をしている時には、
詩の詠みあいをしてるのだと思う。 イメージを刺激する。食いたくさせれば勝ちだと思う。
イメージを直撃するもの。正しいとか正しくないとかはどうでもよい。
ただただイメージを直撃するもの。
詩とは人が食べ物のことを言う時に言うようなことである。

何となく合ってる気もする。

このあいだ、小蟹なんかをみんなで食っていた時、
身が栗のように微妙に甘いので、どうも実は蟹というのは
果物の一種なんではないかという気がしてきた。キウイなんかと同類。
いや、又は、パイナップルなんかは蟹の一種。あれは蟹が陸に上がって樹に住みついたもの。

Poetry Reading

http://jp.youtube.com/watch?v=RGo833qcyaQ&feature=related

この記事へのコメント

miyata
2008年07月07日 15:02
ogawadaくん、どうも。
リンク、ありがとう!
ファンカラティーナ特集(笑)。
これからの季節にピッタシじゃん(笑)。
Modern Romanceは、今年再発が出ていて。
こないだ買おうか迷った矢先。だから、約20年前の
ラジオが妙にタイムリーに響いて。不思議な感じだよ。
himitu0302
2008年09月30日 11:46
はじめまして。私は最近小沢さんのファンになった者です(2008/9)。小沢さんが日本を離れて、もう10年になるので、もっと知りたい!と思ってもなかなか手掛かりがなくて…。この散文はすごくよかったです! (第5回ということは1~4回もあるってことですよね?)道で会って握手を求めても「いい奴」だと思ってもらえるなら、怖がらずに近づいていけますね(笑)。絶対、握手してもらいます! 彼の歌がよいのは、これらの思いがあるからなのですね。よかったら、この散文はどこからのものか教えていただけますか? あと他の散文(1~4回)も見たいです。すいません、どうやって見るのかわからないのです。あと、打ち込むのが大変だったと思うのですが、貴重なアップありがとうございます。
miyata
2008年10月02日 01:05
はじめまして。コメント、ありがとうございます。ここでのエッセイの引用文は、2003年に廃刊になった、女性ファション誌Oliveに掲載されていた、彼の連載『DOOWUTHALIKE』からのものです。単行本化されることがなかったので、自分が人からコピーしてもらったものや、ネット上にアップされているものを、出来るだけ掻き集めてまとめたものです。ここに載せているものも不完全なものなので、ネットで検索するか、バックナンバーを古雑誌店で探す等すれば、もっと多くの文章に出会えるかもしれません。ちなみに「第五回」というのは、この回が小沢健二氏を取り上げたというもので、他の回は違うアーティストを取り上げています。握手、チャンスがあるといいですね(笑)!僕もこれらの文章に触れて、彼の温かい感性に久々に触れられたような気がします。これからも、彼らしく頑張って欲しいですね。古い音楽雑誌のインタビュー等も、必読ものの面白さですよ。

lisa
2008年11月12日 23:45
もう、すごいおもしろいです。
こういうのを探していました。
こんなに彼の言葉を集めてくれて、本当に感謝しています!
miyata
2008年11月13日 22:47
コメント、ありがとうございます。
僕自身、楽しんでかき集めることが出来ました(笑)。
こうやって、最初期から最近までの彼の言葉を並べてみると、
やっぱり根っこの芯が強い人なんだなあと改めて思いました。
僕も、また何度も読み返すことになりそうです。
みゅーと
2015年11月14日 23:04
YOU TUBEでいいともに出てた時のオザケンの曲をたまたま聞いて、ギターが上手いな、なんとなく歌詞もいいな、と思ってサーフしてたらヒットしたページでした。オザケンの感性半端ないですね。紙が擦り切れそうなほど一つのことに徹底的に熟考してる感じ。今更ファンに成りました。2015年11月。34歳、オザケンがテレビ出まくってた時小学生だった奴です。笑
miyata
2015年11月15日 20:31
コメント、ありがとうございます。僕も、彼がテレビに出まくっていた時には、中学生でしたよ(笑)。最近の彼には、シンガーソングライターの他に、作家という肩書きが加わっているようですね。現在の彼のメイン・ステージは、こちらの雑誌連載に移っています。http://www.ozawa-folktale.com 自分は現在、彼のお母さんと奥さんの共著『老いと幼なの言うことには』を読み始めたところですが、なかなか面白いですよ。

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