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zoom RSS Facebookからのダイジェスト集、vol.4(16'/12-17'/01)

<<   作成日時 : 2017/04/19 22:45   >>

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Facebookからのダイジェスト集、vol.4(16'/12-17'/01)

https://www.facebook.com/kyonosuke.miyata

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これより、ぶらり四川、雲南、南北越南へ。
無事に、越境出来るかな?中国からフェイスブック、試しの投稿。
VPN接続にて、金盾(通信遮断)を回避出来たようだ。

2016/12/21

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在四川的每天。成都を拠点に、
少しだけ慣れて来た中国デイズ。
先日は、ネパールのアンナプルナ・トレッキングで、
たまたま顔見知りになったヴィヴィアンが、
成都在住だった!ので、
有り難くも四川火鍋に連れて行ってくれた。

コミュニケーションという点では、
中国では英語が九割方通じないので、
その点、インドやネパールよりも中国は、色々大変だ。
でも顔つきだけは四川人とそっくりなので、
みんな何気に話しかけてくれるのに、ごめんなさい(笑)。

四川をぷらぷらしていても、日本の文化の深層と根っこで
繋がっていることがひしひしと感じられる。日本の音読みが、
唐王朝時代の発音だなんて意識したこともなかった。
国は違くとも、文明の地下水脈において同じ水源なのだ。

2016/12/25

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成都から北へ約300km、
アバチベット族羌族自治州にある九寨溝へ。
標高3,500mの峠を越えると、荒涼とした地に雪が降り、
羌族の砦やヤクの姿が見えて来た。

寒いので、そこから一気に雲南省昆明へ、約1,000km南下。
雲南は暖かいだろうと思いきや、昆明も何気に標高が2,000mほどあり、
朝夕はやっぱり肌寒い…。明日は更に南下、いよいよベトナム国境の町、河口へ。
色とりどりの、様々な民族服を着た少数民族の人たちを見ていると、
なんか日本人とお隣の親戚みたいだな。

2016/12/28

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明けまして、おめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いします。
遅ればせながら、昨年はお世話になりました。

こちらは、年末に無事ベトナムへ越境しました。
年越しは、ベトナムの軽井沢(笑)ことサパの町でた
またま話しかけられた、山岳少数民族、
黒モン族のチャーという名前の女の子のお宅にお世話になりました。

村は、サパの町から山中を5時間程歩いた所にある、
棚田の美しい自給自足の村で、人間もニワトリも豚も犬も猫も、
とにかく子育てで賑やかなとてもピースフルな村でした。

チャーは、弱冠20歳にして少数民族の村々を巡るトレッキングのガイドをしています。
客の取れない日は、部族特有の藍染や手工芸品を作ったりしているそうです。40kgの米も担ぎます。

彼女には、6歳年上の近所に嫁いだお姉さんがいて、
お姉さんもガイドをしています。この村では、トレッキング・ガイドは
若い女性の仕事だそうで、男性は専ら外仕事で忙しいとの事。

彼女が話してくれた話によると、彼女には、
本当は他にも4人の兄と1人の姉がいたそうですが、
みんな赤ん坊の時に病気で亡くなってしまったと、ある時両親が話してくれたそうです。

両親は、今までとても悲しい思いをして来たと話してくれた時、
僕には返す言葉がありませんでした。年老いた両親に代わり、
彼女はガイド業で収入を得、一家の生活を支えています。

今回の旅も、なるたけ観光客目線にならず、近くて遠い存在である、
同じアジアの人々の暮らしを見つめたいと言う思いがありましたが、
ここ数日は、一際印象の残る日々になりました。

明日以降は、彼女たちがベトナミーと呼ぶ、ベトナム人たちの世界、ハノイへ向かいます。

2017/01/01

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ベトナムが誇る世界自然遺産、ハロン湾。

漢字では下龍湾と書くらしい。昔、外敵の侵略から
ベトナムを護った龍の親子の吹き出した宝玉が、
やがては島々になったと言われている。

で、話はちょっと変わって行くけども…。

クルーズ船で知り合った、剽軽な韓国青年トリオと島々を巡る。
帰りのバスで、日韓のサブカルや料理の話から、やがて兵役の話になった。
韓国は未だ戦後ではなく休戦中なので、20代のうちに2年間兵役に就かなければならない。

僕が「兵役どうだった?楽しんだ?」と冗談半分で聞くと、
「いやいや、めちゃくちゃ怖かった…。軍事境界線に配属されて、
北の威嚇射撃で毎日非常事態だったよ…。」と言う返事が返って来た。
「日本と中国と韓国は、もっと関係を持って、仲良くやってかなきゃ。」と言う。
「日本のアーミーは、何とかシステムでやってるの?」とも言われたが、
その「何とか」の英語の意味が分からず、深い話は出来なかった。

そう言えば、僕も中国にいた時、成都のメトロに乗るたびに乗客は全員、荷
物チェックを受けなければならないのだが、そのたびにお土産の白酒が引っかかり、
「この液体は何だ?」と毎回聞かれ、「いやいや見りゃ分かるでしょ?酒だよ、酒!」
と何回説明したことか…。中国は、新疆ウイグル、チベット等、独立運動
封殺の為のテロ対策がやたら厳重なのを思い出す。

そして、このハロン湾の沖合いには、今巷で話題の南沙諸島の緊張があり、
中国とベトナムの関係もまた良くない昨今。ハロン湾見物がきっかけで、
なんだか東アジアに含まれる日本の平和も、平均台の上の綱渡りの様に
か細いものに思えて来た。政治がどうでも、市井レベルでは仲良くして行きたいよね、と僕も強く思うのだ。

2017/01/05

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旅の終着駅、ホーチミン(サイゴン)が近づいて来た。
ベトナム最後の王朝、阮(グエン)朝王宮のある古都フエ、
鎖国前の日本人が作り上げた町、ホイアンと中部ベトナムを南下中。

フエで夕飯に連れて行ってくれたのは、地元っ子のソミー。
観光科の学生で、僕の泊まったホテルのツアーリスト・カウンターで
バイトをしていた。印象的だったのが、彼女の質問。

「あなたは今、自分が若い頃に夢見ていた仕事に、就けている?」
という質問だった。彼女の昔の夢は、教師になることだったそうだが、
今は観光業の仕事に就きたいと、夢が変化した。

この質問に的確に答えるには、僕の語学力が足りなかったけれど、
自分の場合、この歳になっても、まだまだ自分が本当にしたい事の
前段階でしかないんだな、と言う事を自覚してしまう。

ベトナムと言う異郷の地で、こう言う質問が、
全く初対面の彼女から出て来た事に、この旅の面白さを感じてしまった。
そして、兄弟が1人しかいないと言うと「マジで?」と言う風に笑われた。
なぜなら彼女は、なんと10人兄弟だと言うのだ。

2017/01/07

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ホイアンから、長距離バスを乗り継いで、延べ24時間…。
ようやく最後の目的地、ホーチミン(サイゴン)に到着。街の雰囲気は、
どこかしらミニ東京な感じだが、単車の数が凄い…。

サイゴンと言えば、ベトナム戦争終焉の地。恐怖政治で知られた、
南ベトナムの旧大統領官邸、戦争証跡博物館を訪れる。
FBには載せられないような、凄惨な記録の数々に圧倒された。

数年前、仕事でアメリカのロック・ミュージックの特集を担当した時、
それらの音楽の時代背景を探る為に、同国の近現代史をリサーチした。
その時にブチ当たったのが、この戦争だった。

今回、自分達の国を蹂躙された側であるベトナム人の視点から、
ベトナム戦争を考えることが出来たのは、良い経験だった。
特に、従軍カメラマン、石川文洋氏の展示が胸に迫る。
ベトナム戦争は、TVやカメラ等の記録メディアが発達した時代の戦争であった為、
戦時の愚行が鮮烈に偽りなく記録された。石川氏は、
出身地の沖縄戦を思いながら記録を続けたそうだ。

旅中に読んでいた司馬遼太郎の『人間の集団について 〜ベトナムから考える』
にあるように、人の集団は、何らかの幻想に取り憑かれた時、
人が変わった様に狂信的に成り得ると言う事。

アメリカの取り憑かれた幻想である「ドミノ理論」によって、
どれだけのベトナムの村と人が焼かれたのだろう。
同著にある、「いつまでアジアは踊らされねばならないのか。」と言う言葉は、
今の自分達にも迫るものがある。

2017/01/11

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サイゴンで半袖汗だくになったのも束の間…。
やたら寒くなってる日本に帰って来ました。
I returned to cold Tokyo where finished "Kagami Mochi" (new year's rice cake)
season from hot christmas Saigon...

ベトナムは旧正月がメインのようで、新暦の1/1は、
クリスマスと一緒くたにされて、欧米系イベントの扱いらしく。
1/10の時点で、サイゴンの街中ではまだクリスマス・ソングが流れていて、
ツリーも飾ってあった(笑)。そして、日本に帰ったらもう鏡開きだった…。

今回、純粋なバックパッカー旅としては、
2014年のラダック/インド/ブータン以来。中国の四川省にいきなり飛んだのは、
四川から雲南、そしてベトナム最北部の山岳地帯にかけて住む、
少数民族の人々の暮らしや文化を探ってみたかったから。
日本人との共通点や相違点も色々と見えて来た。
その事については、また後日書きたいと思ってますが、
今回は、中国での写真のみダイジェストで。漢族の世界、
成都からスタート。アバ・チベット族や羌族の住む、
四川省北部の山岳地帯を巡り南下、旧南詔国の都、昆明では、
少数民族の文化を紹介する、雲南民族村を訪れました。駆け足の10日間。

「成都」武侯祠博物館、錦里(結義楼、楽舞三國情境劇)、
青城山、都江堰、金沙遺址博物館、杜甫草堂、小龍坎老火鍋

「九塞溝」九塞溝国家級風景名勝区

「昆明」雲南民族村、石林風景名勝区、中国石林喀斯特地質博物館

「河口」国境検閲所、中越公路大橋

2017/01/13

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「魚は水に泳ぎ、鳥は空を飛び、我らは山に生きる」モン族の諺より。

ベトナム行の中で一際印象的だったのは、
同国最北部の山間に住む、黒モン族の人々の村での生活だった。
モン族の人たちは、中国南部ではミャオ族とも呼ばれていて、
古くは中国清朝の弾圧から逃れて来て、次第に東南アジアに移住していったと言われている。

ベトナムにおいては、平野部に暮らす多数民族である
ベト族(キン族)があまり魅力を感じない山間部を自分たちの居住空間とし、
政治や経済に卓越した「主民」に対する「客民」として自分たちを位置付け、
独自のアイデンティティーを維持してきたそうだ。

日本でも、かつては平野部に暮らす多数民族である
大和族の政治・経済圏とは別に、山間部を生活圏とする人々がいたとされていて、
彼らは古くは蝦夷、近代では山窩(山家)等とも呼ばれていたようだが、
彼らの存在は、昭和30年代を境にして完全に消えてしまったらしい。

ひるがえってベトナムのモン族の人々は、少数民族とは言っても、
僕らと同じ現代人感覚がある。彼らの言語には文字がなく、
文化の伝承は口承によるものだけれども、彼らは今でも「原材料を一から作る」
ところから自分たちの衣食住を賄う技術能力を維持しつつ、スマホも使う。

隣村は、数kmしか離れていないのに、種族が違うので言語が違う。
と言っても、公用語としてのベトナム語があり、他部落や政府との意思疎通は出来るし、
現金収入源となる外国人観光客に対しては、英語で流暢にやり取りする。
言語を多層的に扱えるのは、少数民族の知恵と言えそうだ。

日本人が、今ようやく取り戻そうとし始めている、お金に依存し過ぎない
衣食住の新たな仕組みや、伝承文化の再構築等、お手本となる人々は、
世界中の様々な場所に暮らしているのだなあと再認識。それでいて、
ベトナムの最高峰は、完全に山頂までピカピカに観光地化されていて、複雑な気分だった。

「ラオカイ」新中越友好橋、税関

「サパ」トレッキング(ハウタオ村泊)、
ファンシーパン山(ベトナム最高峰 3,143m)

「ハノイ」ホアンキエム湖、玉山祠、
クアバック教会、タンロン遺跡、文廟、ホアロー収容所、ベトナム軍事歴史博物館

「ハロン湾」ハロン湾クルーズ、ティエンクン洞

「フエ」チュオンティエン橋、阮朝王宮、宮廷骨董博物館

「ホイアン」関公廟、伝統音楽ライヴ、来遠橋、馮興家、廣肇会館、陳祠堂、ホイアン市場

「サイゴン」ホーチミン市博物館、統一会堂、戦争証跡博物館

2017/01/16

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