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zoom RSS 新旧作詩掲載報告 / 「毎日被爆しながら」「鉱山で」「新しい日々」

<<   作成日時 : 2015/07/29 16:28   >>

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何者かの投げた 寳石が
絃琴にあたり 古の歌となる
西脇順三郎 / 旅人かへらず 一二八

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一般的に人と協力できそうなことはあるにはあるが、
それもきわめて部分的でうわべだけのものであり、実際のところ、
真の意味での協力など、人間の耳に聞こえない和音のようなもので、ないに等しい。
信念のある人なら、どこへ行こうと同じように信念のある人と協力し合うだろうが、
信念のない人は、どのような仲間とつきあっても、常にまわりの人と同じ生き方しかできないだろう。
協力するとは、最もよい意味でも悪い意味でも、ともに生きることなのだ。

ヘンリー・ディヴィッド・ソロー

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暑い日が続いていますね。

このブログの扉ページにも順次記載していますが、
この夏に掲載頂いた、新旧作詩の詩誌、詩選集発行情報をお知らせします。

Cats Berry Recordsにても、
若干数在庫ありますので、ご希望の方には頒布致します。

お問い合わせ / catsberryrecords@gmail.com

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発行日、2015年06月01日

「京浜詩派 210号」

旧作詩、 「毎日被爆しながら」
(現代詩手帖、2011年9月号、選外佳作)
発行、横浜詩人会議 / 定価、500円


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発行日、2015年07月25日

「詩人会議
新人賞詩選集 '15 百草百花」

新作詩、 「鉱山で」
発行、詩人会議出版 / 頒価、2,000円


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発行日、2015年07月30日

「澪、第44号」

新作詩、 「新しい日々」
発行、詩人会議出版 / 頒価、500円


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下記、最近のフェイスブックからの転載です。

https://www.facebook.com/kyonosuke.miyata

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及川菜穂子さんの写真展、町田市立中央図書館にて。
同じ建物にホテルまで一緒に入っている、巨大な図書館。
中央玄関入口の長いエスカレーターに乗りながら、
作品が観れる展示形式。テーマは『New Color / 新しい色』。

昔、HIROMIXが撮った小沢健二の12インチ・アナログ『ある光』のジャケット
(海面にきらきらと光が射す写真)を、ふと思い出した。

-2015/04/11-

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17日は、秀麗富獄十二景一番山頂、雁ヶ腹摺山(1,874m)へ。
英語で表記すると、Mt.gangaharasuriとなって、何故かヒンディー語っぽくなるのだが、
雁の群が、この山の稜線ギリギリに腹を摺るように渡って行くという意味らしい。
旧五百円札の富士は、ここの山頂から撮った写真を使っているそうです。

金山峠経由の登りは、標高差約1,200mで、丹沢の大倉尾根と同程度。
大規模崩落多く、道不明瞭ながらピンク・リボンあり。
下りに徒歩で歩いた大峠からの林道が延々と約7kmで(登下合計約17km)、
そっちの方が長く感じた。ビール欲しさにふと立ち寄った
ハマイバ岩魚民宿の親父さんが、薪ストーブの傍で語ってくれた。

「お兄さんみたいな人は少ないよ!みんな大峠までタクシー乗って、
一時間ちょっとで山頂行って、さっさと下りちまう。誰とも口きかずに、
黙々登って下りるだけさ。お兄さんはここまで一銭も使わずに、ビールに三百円使うだけだが、
この土地を訪れて土地の人間と話してく。そういう登山もいいと思うんだよなあ。」
今回は、なんか親父さんとの会話が、妙に良かったなあ。

-2015/04/17-

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約5年ぶりの丹沢主脈縦走
(蛭ヶ岳〜不動ノ峰〜丹沢山〜塔ノ岳) with 松下慶太さん。
今回、蛭ヶ岳(1,673m、神奈川県最高峰)は、初登頂。
久々に約11時間の長丁場となった。大倉尾根では、
最初期MTCメンバーでのヘッドランプ無し日没下山の悪夢を思い出した。
今回は日照時間も長くなったので、下山まで陽は暮れず。
稜線での直射は強く、もうこのGWは夏山気分。

-2015/05/02-

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今春から詩の掲載で参加させて頂いている、
詩誌『京浜詩派』の210号が発行されました。
今回、掲載頂いた作品『毎日、被爆しながら』は、
2011年の東日本大震災直後に書いた旧作詩で、
『現代詩手帖』2011年9月号にて、選者の平田俊子氏に、
佳作として選んで頂いた作品です。

これを書いた当時は、まだ原発事故の直後で、
民主党菅政権が事態の収拾に右往左往していました。
作中には、擬人化した放射性物質が登場したりと、
「生まれて初めて被爆して行く僕たちの生活」
という衝撃を自分なりに書いたものでしたが、
早あれから4年。そう言った状況にも日々慣れていってしまっていることに、
我ながら驚きます。読んでみたいという方は、郵送致しますので、ご一報下さい。

-2015/05/21-

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28、29日は、瑞牆山&金峰山(2,230m&2,599m、共に日本百名山)へ。
ちょうど先週の乾徳山に続いての岩稜山頂の瑞牆山は、
思わず飛び降りたくなる誘惑に駆られるほど、気持ちの良い見晴らし。
アズマシャクナゲの開花もピークを迎えていて、みなハイテンション。
個人的には、瑞牆登頂後に一泊した富士見平小屋が、
非電化ランプ小屋ということもあり、船窪小屋を思い出させグッドな小屋だった。

小屋の若旦那夫婦や同宿客とは、小屋番生活話で盛り上がり、
山梨の山岳救助の実態やその他諸々、奥秩父主脈一帯の山話を大いに聞かせて貰った。
厨房がオープンキッチンになっていて、手作りのお菓子や地ビールなんかも売りつつ、
若い人の感性で築50年の小屋をセンス良くプチ・リノベーション。
ランプの灯火では暗いので、ヘッドランプをかざして料理をしている姿も面白かった。

より少ないエネルギーと物質循環の中で、生活を再構築すること。
都市にあっては、膨大なエネルギーの蛇口を出しっ放しにした状態が大前提であり、
生活も人生観も往々にその中で展開されて行く(だからこそ、原発が必要なのだ)。
やはり小規模の山小屋生活等を見ていると、「都市生活者の消費道楽としてのアウトドア」とは
別ベクトルの、価値観の方向性が見えてくるのである。

帰りのバスでは、やたら喋りまくる若い運転手。なんでも前職は小笠原のまぐろ漁師。
瑞牆一帯の林道の魅力に取り憑かれて、思わずこの林道バスの運転手に転職したのだとか。
彼曰く、「どうせ地球も、9億年後にはハビタブルゾーン(生命居住可能領域)から抜けるわけです。
そしたら水も生命も何も残らない。そう考えたら、自分の人生、好きなことやって生きるに限りますよ。」
と、妙に途方もない話で説得力のある持論を語ってくれるのだった。

-2015/05/30-

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今年初のMTC会合。取り敢えず今夏は、
MTCグループ登山発祥の地、槍・穂高連峰にて槍〜大切戸〜北穂〜涸沢岳コースに決定。
予定通り決行できれば、むしきんは大切戸初踏破、自分は涸沢岳だけ初登頂となるはずだが、
天気は如何に…?五年ぶりの大キレット、今回はテントを背負って臨みたい。

-2015/06/26-

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28、29日は、奥秩父主脈核心域縦走。
梅雨時にありながら、快晴に恵まれ気持ちの良い縦走。
JMTセクションハイクを想定してのテント山行は、
昨年のラダック/ザンスカール・トレッキングを除けば、
一昨年の北アルプス大縦走以来(ラダックでは、ロバが背負ってくれた)。
前日飲み明け二時間睡眠後の甲武信ヶ岳への縦走は、さすがに若干へばる。
とは言え、特に初日28日は終日稜線に雲がかからない珍しい日で、
富士、南アルプス、八ヶ岳はもちろん、遠くは槍穂高連峰の大キレット、
後立山連峰もしっかり見通せた。地元のバス運転手の親父さんも、
甲武信山域でこのような日は秋でもなければ珍しいと言う。
梅雨時の晴れ日の力強さを実感。

下山道は、日本最古の峠道として知られ、
98年まで「開かずの国道」と言われた、人馬しか通れない旧国道140号線=雁坂峠。

初日、自動車道国内最高標高の峠道、大弛峠(2,360m)より入山、
北奥千丈岳(奥秩父主脈最高峰、2,601m)、国師岳(2,592m)を経て、
甲武信ヶ岳(甲斐、武蔵、信濃三国境、2,475m)、甲武信小屋テン泊。
29日は、早朝甲武信より三宝山(埼玉県最高峰、2,483m)、
東西破風山/雁坂嶺を経て、雁坂峠(日本三大峠、2,082m)を山梨側へ下山。

-2015/06/29-

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先日、横浜詩人会議の方から
「9条の会 詩人の輪」賛同人への依頼打診があった。現在論争の激しい、
新安保法制への動きに対して新たなアピールを出して行くということである。

個人的には、小中に機械的に学んだ日本国憲法だが、
今改めて9条の条文を再読してみると、当時の憲法制定関係者達が、
どんな新日本の未来像を描いていたのかが見えて来る
(ちなみに起草者GHQは後日、この徹底した平和憲法のせいで
日本の軍事力を朝鮮戦争に投入出来なかったことを後悔している)。

 日本国憲法は、その第2章において、「戦争の放棄」を掲げている。
「基本的人権や国民の権利、義務」を規定する第3章よりも
この「戦争の放棄」が先にあるということに注目したい。そう考えると、
我々の諸権利や自由を行使することの大前提に「平和」があるという考えなのだ。

現在の日本政府の方針は、米国の覇権調整戦略に同調することで、
結果的に国益が守られるであろうという思考回路なのだけれども、それは要するに、
たった一国との軍事同盟の強化であり、その同盟国が敵対する勢力とは自動的に敵対関係となり、
非自律的に戦争状態へと突入する危険性をはらんでいる。

日本国憲法が本来想定していた自国の安全保障とは、
国際連合等、多国家間による集団安全保障と無軍備平和主義による
「仮想敵を作らない」という考え方を追求するように要請されたものであった。
これは別に右寄り左寄り等と言う前に、条文に書かれている事柄だ。
世界の国々が、もし一つの教室のクラスメート達だったとするなら、
なるたけみんなと仲良くなれるように努力して、仲間外れを作ったり、
ガキ大将とだけ仲良くしたり、集団リンチなんかしたりしないで、
苦手な友達ともまあなんとか楽しくやって行こうぜ!という態度なのではないだろうか。

 「戦争の放棄」が「国民の諸権利」の前提にあるのは、
戦争(有事)になれば、それら「国民の諸権利」が保証できないということだ。
制限どころか消し去られると言っても過言ではない。有事法制は、
戦時に必要な徴用命令を民間と自治体に強制することが出来、
それらの命令に背けば罰則が適用される。「結局、敵は日本人だった。」
と言う70年前の過ちに巻き戻ることになる。
大人になって初めて憲法の掲げる理想が、
物凄く難易度の高い代物だということに気づかされた。
日本国憲法は、戦後日本というあるひとつの人格として大きな夢を語っている。
「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたい」。これは、本当に勇気と努力のいることだと思う。

 「第九条は戦争の抛棄を宣言し、
我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って
指導的地位を占むることを示すものであります。
今日の時勢に尚国際関係を律する一つの法則として、
或範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするが如きは、
過去に於ける幾多の失敗を繰返す所以でありまして、
最早我が国の学ぶべきことではありませぬ。
文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。
文明が速やかに戦争を全滅しなければ、
戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。
私は斯様な信念を持って此の憲法改正案の起草の議に与ったのであります。」

幣原喜重郎、昭和21年8月27日

参考文献、
「有事法制批判 / 憲法再生フォーラム」

-2015/07/07-

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ボブ・ディランのベースメント・テープス全貌盤BOXを、ようやく聴いている。
60年代後期の英米ロック・シーンのトレンドと言えば、まさにサイケデリック・ロック一色で、
サマー・オブ・ラヴの狂躁に若者たちが浮かれ騒いでいたような時代だったわけだが、
一方全ての音楽活動を全面停止していたディランは、ウッドストック郊外の地下室で、
南北戦争前のプロテスト・ソングや囚人の戸外労働歌等、
当時の人間が見向きもしないような古の楽曲群を掘り起こしては、録音していた。
今ではこれらの感性の基盤に立ってアメリカーナというジャンルさえ、登場している。

 音楽を創る、あるいは演奏する、録音をする。
というそれぞれの行為について、ここ何年か考えている。そしてそれを、どんな人間が聞くのか。
そもそもその音楽を作ったり聴いたりしてる自分とは、何者なんだろう。
「環境が音楽を生む」というのが、まず一つある。
NYパンクがウッドストックで生まれることはあり得ないし、
ヒップホップがブロンクスじゃなくて、オーストリアの宮廷楽団で生まれることもあり得ないだろう。
けれど、「作りたい音楽の為に環境を選ぶ」という次の段階をどう選択するのか。
ロニー・レインのレコードには、自分の農場の風の音まで入っていたと言う。

 日進月歩で移ろうミュージック・シーンのトレンドを表層的に追ってみても、
今の僕にはどれも同じようなものに思える。一度、自分の音楽のコア(核)となるものを見据えた時には、
もう追いかけるもの等何もないことに気づく。あとは歩いて行くだけだ。
サウンドには感性が宿り、詩とリズムは相互に補完し合って転がって行くだけなのだから。

「音楽の中で、私は自分の真実を表現しようと努めている。
それが難しいのは、私が常に変わり続けているからだ。」-チャールズ・ミンガス


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 「当時の風潮とちんぷんかんぷんの文化が私の心を締めつけて、
吐き気を催させていた。公民権運動や政治運動のリーダーの射殺、聳え立つバリケード、
政府の弾圧、過激派学生やデモ隊と対立する機動隊や労働組合、頻発するデモ、
燃え上がる人々の怒り、反体制コミューン、偽り、騒がしい声、フリーラヴ、貨幣制度反対運動、
その何もかもが。何ものにも邪魔されない立場にいようと、私は心に決めていた。」-ボブ・ディラン

-2015/07/07-

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以下、
詩人の輪、声明文の転載です。

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声明

 ひとつひとつの命を見つめる
詩精神の原点から緊急声明を発表します。

 政府は大幅な会期延長の上、
集団的自衛権の行使を可能とするために、
自衛隊法等を改正するとともに、新法を制定しようとしています。
新安保法制(戦争法案)は、
これまで憲法に違反するとして認められなかった
自衛隊の戦闘活動を可能とするものです。
日本が攻撃されていない場合にも実力行使を認め、
周辺事態に当たらない場合であっても米軍及び米軍以外の
他国軍隊に対する支援を可能にし、一部の活動については
現に戦闘行為が行われている現場での実施も可能にしてしまいます。

 すでに憲法学者の多くが違憲の判断を示し、
地方新聞の多くも違憲の論調を明確にしているように、
これは恒久平和主義を定める憲法前文や
第九条及び立憲主義に明確に反するもので許されないものです。

 自民党、公明党の連立である安倍政権は、
特定秘密保護法を制定、「積極的平和主義」の名のもとに戦争参加の道を開き、
戦前から戦中にかけて行われた「転進」や「玉砕」などの言葉の言い換え、
沖縄辺野古の新基地建設強行など、「戦争のできる国」への動きを見せてきました。
マスコミ懐柔の政策も大問題であり、
自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」の場を使っての、
反論を許さない姿勢にもあらわれていて、きわめて危険な状況です。

 私たち「九条の会詩人の輪」(賛同者一一一九名)は結成から十年間、
思想信条や政党支持の違い、詩文学の考えの違いを超えて、
平和憲法九条支持の一点で運動してきました。
何よりも詩と文学を大切にするからこそ、
その原点であるひとつひとつの命をないがしろにする動きには強く異議を唱えてきました。
文化的な世界友好の心を守るためにも、多様な日本文学の今後を守るためにも、
私たちは新安保法制(戦争法案)に反対し、法案の撤回を強く求めます。
そして、国民・市民の多数が納得してもいない九条改憲の動きにも強く抗議します。

二〇一五年七月十日

九条の会 詩人の輪 よびかけ人・世話人・事務局一同
http://sijinnowa.web.fc2.com/sandousya/index.htm

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-2015/07/14-

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台風一過。久々に庭の様子を見ると、
野菜がゴロゴロ出来とる…&急いで収穫。
虫たちもガンガン這い回り、元気いっぱいの季節ですね。

-2015/07/18-

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7/25-26は、南アルプスの女王こと仙丈ヶ岳(3,033m、標高国内第17位)。
3,000m峰らしく僅かに雪渓は残るものの、山頂ご来光待ちでの気温のぬるさにはびっくり。
今回、柴田組長はなんと約40年ぶり!の仙丈再登頂だと言う(生まれてねえ)。
そして彼は、ビールを飲むと登攀速度が倍加するという驚異の肉体を持っている…。

いつも北岳側から見ていた仙丈ヶ岳。
今回、初めて仙丈から見る北岳は、富士を背景にやはり盟主たる風格。
北岳山荘のえびちゃんには一日違いで会えんかったけど(置き手紙、さんきゅう!)、
広河原山荘のともちゃんには、常念中期ズ解散以来(!)久々に会うことができた。
広河原カツカレー、ご馳走様!広河原や北沢峠をベースに、鳳凰三山や甲斐駒を狙うのもイイね。

-2015/07/27-

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以下、追記。


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「アレクセイの泉」等で知られる本橋成一監督の作品、「アラヤシキの住人たち」を観た。
この映画は、北アルプス白馬三山麓の小谷村が舞台ということで、
観に行こうかなとチェックしていたのだが、偶然先日、妙典の田地マハル君が観に行って良かった
とのことで早速観てみた。舞台の真木協働学舎は、車の入れない山道を一時間半歩いた先にある。

築90年の大きな茅葺屋根の屋敷を中心に、
様々な境遇の老若男女が自給自足の生活を営んでいる。映画は、ただそこにある日常を淡々と、
春夏秋冬映して行くだけ。山羊が里から帰ってくる。田植えや野菜の収穫、学生たちの体験合宿、
生き方に迷った青年の出奔と帰還、人間の子育て、山羊の出産、豪雨、道直し、稲の収穫、
雪掻き、音楽演奏、薪割り、仕事の分担、荷揚げ荷下げ、等々…。

観ていると、ここ3年間、山小屋やラダックの山村で暮らしてきた日常仕事の数々が重なって蘇る。
「人間一人一人は、すべての人が必要な存在としてつくられているのだと信じます。」
協働学舎創設者、宮嶋眞一郎氏の言葉は、
元来人々が土地に根ざして暮らしてきた共同体の中で
暗黙のうちに受け継いできた精神、それ、そのもののように思える。
能率優先の名の下、非定型の個を潰して行くような、
資本と経済に支配された日本社会の精神風土に、深く静かな示唆を与える作品だと思う。

“「何事もない」というとマイナスのイメージをいだく人もいるかもしれない。
だがそれは事がおきないという意味で無事ということであり、その反対語は有事である。
かつて人々は何よりも無事を喜び、自然の無事を、ともにある世界の無事を、
それぞれの無事を祈ってきた。近代以降の時代が「何事もない」暮らしを停滞とみなし、
人間たちを有事のなかに引きずり込んだだけである。
その結果人間たちは、発展や成長を求めて自然から離れ、
競争や「自己実現」などという下品な言葉のなかに引き込まれていった。
だがそこで人間たちが手にしたものは不安といらだち、無事な暮らしの喪失だった。
山羊や鶏が暮らしている。犬も猫も暮らしている。その周りで自然が暮らしている。
それらと同じ時空のなかで人間たちが暮らしている。もちろんここでもたえず何かがおきている。

しかし何がおきても、この時空は揺るぎない。

そして揺るぎないことへの信頼が、
山羊や鶏、犬や猫、自然や人間たちの居場所をつくりだしている。
それが映画からあふれ出てくる無事な空気だ。集まってきた人々のなかで
ともに生きていこうとする大変さを、無事な空気が飲み込んでいく。
そこに生の世界の根源をみるなら、それはアラヤシキ=阿頼耶識の住人たちでもある。”

-内山節(哲学者)

http://arayashiki-movie.jp

-2015/08/02-

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