Cats Berry Records Blog

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<<   作成日時 : 2015/04/02 15:01   >>

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ぼくは夢を見てきた
みんなと同じように
そして夢は夢のまま
だから

今は無頓着に
大地に両足をしっかりすえて
空を見上げる
ぼくは感じる、着ている服を
靴の中の体重を
帽子の縁を
ぼくの鼻先を出入りする
空気を 

だからもう
夢は終りだ。

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ / 木曜日
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Carlos_Williams


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Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now

Bob Dylan / My Back Pages

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久しぶりに、このブログを書きます。
この冬は、ある程度日本での生活に着地する調整諸々で、もう桜の季節になってしまいました。

数日前、久々のカケレコ同窓西船呑みにて、
『SFF vol.15』で、イベント全体のBGMを担当してくれた
a la cultの楠原さんに、「今年のCats Berryの予定は?」と聞かれ、
「暫くは、詩作をしようと思う。」と答えました。

実際、僕の気持ちの中では、2011年頃からその欲求が強まって来ていて、
その後の日本アルプスや、インド、ネパール、ラダック等での放浪的生活という流れも、
その過程のひとつひとつであったと言う位置付けでいます。

今後は少しずつ、アウトプットをして行ければ。というわけで、
昨年末の図書館での小展示にヒントを得て、今年は、詩と写真による放浪展を
小さくやってみようと思っています。場所は、現在、フェイスブックで展示の提案を下さった
「路地と人」の菊川さんからのお誘いがあり、そちらでやらせて頂く予定です。



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http://rojitohito.exblog.jp
また、詳細が決まって来ましたら、再度こちらにて告知致します。

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それと、昨年のラダック行中での日記を
文字起こしも兼ねてこのブログにて、一年くらいかけて更新して行こうかと思っています。
興味のある方は、良かったらご覧下さい(そもそも、全て終わらす自信がないのだが…)。



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写真の更新も、少しずつですが続けています。

Flickr / Dharma Bums



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ペンジ・ラ(峠、約4,400m)、ダラン・ドゥルン氷河付近、6/28/2014
http://en.wikipedia.org/wiki/Pensi_La

Kargir Purig India 2014
https://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/72157651712574105/

Suru Purig India 2014
https://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/72157649372976524/

Padum & Pipiting Zanskar India 2014
https://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/72157651678020226/

Karsha Zanskar India 2014
https://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/72157651331856940/

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他、近況諸々。

昨年のラダック行でお世話になった、
NPO法人ジュレー・ラダックさんのニュースレターにて、
ホームステイ時のレポート報告を掲載頂きました。

以下、jpgファイルをダウンロードしてご覧下さい。



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ジュレー・ラダック Newsletter Vol.19 2014 Dec. より。
http://julayladakh.org

下記は、同団体の直近のイベントのお知らせです。



画像




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今年8月に出版予定の(あくまで予定)
詩人会議出版の詩選集に、
詩を一編載せて頂く予定です
(参加者が少ないと出版されないそうなので、
確定したらまたお知らせ致します)。

詩人会議 / 新人賞詩選集



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『15'百草百花』
詩人会議出版 2015/08(予定)
http://www.ne.jp/asahi/hiroba/shijin-kaigi/

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以下、お知らせを頂いた、友人から。

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CBRでも、10年来イベント等でお世話になっている、
写真家、及川菜穂子さんの写真展が、町田の中央図書館にて
(DM、ありがとうございます)。


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Nahoko Oikawa
Photo exhibition 2015 tue,31 - Sun, 12 April

at 町田市中央図書館(月曜日、第二木曜日、休館)
https://www.library.city.machida.tokyo.jp

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CBRのホームページが、最初に出来た時(もう11年も前だなあ)、
当時併設したBBSに、一番乗りで短いコメントをくれた一瀬くん。
彼が長い沈黙を破って、再び発信を始めたという事自体、僕には静かな衝撃だった。
なんかやっぱ。凄く良いんだよなあ。

aboutより。

「心の底にすとんと落ちて、いつまでも、そのままのこるもの。
そんなもの/ことがすこしでもかたちになっていれば良いなと思っています。」



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http://hanasinohanasi.main.jp

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以下は恒例、
最近のフェイスブックからの転載です。

https://www.facebook.com/kyonosuke.miyata

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ジュレー・ラダックさんから、レポート集が届きました。
ありがとうございます。個人的にも印象深かった、
夏の「カーラチャクラ灌頂伝授会」の体験記を書かれた方の文章にある、
「コンパッションとウィズダムを二つの翼とするように」という言葉がグッと来ました。
僕は、村の祭りについて書かせて頂きましたが、
スカルマさんやセリンちゃんが触れられているゴミの問題は、
本当に喫緊の問題だと思います。商店のある村は、どこもゴミだらけになっていたし、
商店の存在=ゴミの存在となっている構図を変えるには、一村につき、
一焼却施設(その前提のゴミ拾い)は必須かと思う。
僕がラダックにいる時、自分の出したゴミを拾っているのを、
現地の人は最初、不思議そうに眺めていたけれど、それを見て以降、
彼は僕の真似をして自分の出したゴミを拾っていた…。
そんなことを思い出して、今ある状況を変えるきっかけなんて、
ほんの小さな幾つものスイッチなのではないかなとも思う。

http://julayladakh.org
-2014/12/30-

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明けまして、おめでとうございます。
今年の初(お山)詣は、御岳山(929m、鷹ノ巣渓谷〜大楢峠経由)。
まだ雪は、うっすら。ここ三年たいがい、山で暮らしてるか、
南アジアをぶらついてるかして生きておりましたが。それらのフィードバックも含めつつ、
徐々に本業の音と言葉の生活に焦点を合わせて行きたいと思います。
して、下界では五年ぶりに高校時代からの音友、森くんと森家呑み。
森くんとは、会うたびにいつも新しい刺激を受ける。
それは、ホント高校の時と変わらない。よくわざわざ隣の教室まで行って、
彼と音楽の話ばかりしていた。長い付き合いの友人でも、
会っても昔話ばっかりなんだよなあ〜とかにならずに新しい話ができるって、素敵なことですね。
今回、たまたまお題にあがったのは、いしいしんじ、リチャード・パワーズ、
小沢健二、ソロー市民の反抗、ラダック、ベン・ワットの新作、三宅洋平、
ジャレド・ダイアモンド、アフリカン・ロック、カレー作りブーム…etc.
それぞれに深く知っているものもあれば、
気になっているけどあんまし知らないって事もあったりするけど。
お互いに求心力のある「何か」を軸に話してく事が出来る友人ってのは、やっぱ貴重です。
若い頃、がむしゃらに何でもかんでも吸収していたような季節が過ぎて行って。
いろんな経験や事物がどろどろに溶けて未分化になってって。
重要であったことがそうでもなくなったり。
全然なかった視点や次元の存在に気づいたり。
自分達より若い人達はどんどんと大人になってってびっくりだし。
自分達もまた、先を歩いていた人達と同じ歳になっていたり。
そんな中で、あらま予期もせずにゴロンッと何かが生まれてくる…、そんな年頃なのだろうか?

『笑い者 / Akihiro Mori』、再録
http://catsberryrecords.at.webry.info/200905/article_2.html
-2015/01/04-

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八年ぶりに、京都。
しばらく、インドやラダックの仏教建築を観て来たけど。
改めて日本のゴンパ(とは言わないけど)って凄いなと再認識。
タイムマシンがあったら、偉大な仏教国だった頃の日本を旅してみたい気もする。
でもきっと、その辺に死体が転がってるような悲惨な世の中だったのだろうけれども。
三十三間堂なんか、千手の観音様が千一体もいるし(なんであんなにいるのだろうか?)、
ラダックの人が観たら、びっくりして卒倒してしまうんでないかな〜。
京でなくとも、中世期に造られた静謐な木造建築なんかを観ると、
なんだか凛とした、背筋が伸びるような心持ちになるね。

http://www.ryoanji.jp/smph/
-2015/01/19-

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5日は、久しぶりに清水くん(ゆりのき楽団 / Reconquista)と
『岡崎京子展』を観に、世田谷文学館へ。
僕らも渋谷のビルの谷間で出会ってからそろそろ15年にもなろうかというところだが、
なんだか図らずもお互いの思想の原点を見るかのような岡崎さんの感性に、
改めてガツンとやられた思いだ。
物も人も街も、素敵なことも凄惨なことも、
薄っぺらいCGのように次から次へとすげ替えられていくかのような世界で、
”なんかもっと本当なこと”を求めてえっちらおっちらやって来た日々を振り返ってみると、
何だか妙に切なくもあり、思わずニヤけてしまうような気にもなり…。グッと来ます、岡崎さん。

“砂漠で戦争が始まりTVにはそれが映る。
それをTVショウとして湾岸の花火、物見遊山の観光客と「しゃれこむ」気にはなれないし、
村祭りのように肩よせ合う「反戦運動」にはゲロでそうだし、軍事評論家の床屋談義にはもううんざりだし。
そして私がこの数週間の「戦時中」に感じたのはヒステリックに平和を叫ぶ声の集団が
たやすく「管理」の方向に向かうことの恐怖でありオソロシサである。
それに対する個人的、個体的な長期戦には体力つけなくちゃね、と思うのであった。
「死ぬのはイタイからや」という身体的な反応としての「反戦思想」はあるけど、
世の中死ぬよりも悪いことも、ある。-1991年、岡崎京子”

「この街は/悪疫のときにあって/僕らの短い永遠を知っていた/
僕らの短い永遠/僕らの愛/僕らの愛は知っていた/
街場レヴェルの/のっぺりした壁を/僕らの愛は知っていた/
沈黙の周波数を/僕らの愛は知っていた/平坦な戦場を/僕らは現場担当者になった/
格子を解読しようとした/相転移して新たな配置になるために/
深い亀裂をパトロールするために/流れをマップするために/
落ち葉を見るがいい/涸れた噴水をめぐること/
平坦な戦場で/僕らが生き延びること/
ウィリアム・ギブソン(岡崎京子 / リバーズ・エッジ抜粋)」

『岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ』 世田谷文学館2階展示室
http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html
-2015/02/07-

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5日は、甲斐国は三ッ峠山(開運山、1,785m)へ。
念の為に軽アイゼンは持って行ったけど、
表登山道はアイゼンなしで問題無し。
もう既に春山の兆しである。眼前の富士は、
自衛隊演習場から青木ヶ原樹海まですっきりと見渡せた。
にしても、修験道系の山ってほとんど役小角(634-701)が
開山してることになってるんだけど、どんだけ登ってんだよと思う。
しかも飛鳥/奈良時代の人だから、相当な強者だったんだろうなあ。

http://www.kachikachiyama-ropeway.com/contents/mitsutoge/
-2015/03/06-

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“戦争に反対する唯一の手段は、
各自の生活を美しくして、それに執着することである。吉田健一”

現代思想の増刊号が、
今年初頭の仏襲撃事件とイスラム国の人質事件を取り上げていた。
物事が白黒つけられないのは大人になれば分かることだけれども、
中東問題もまた、二つの大戦や植民地支配の歴史とも大きな関係があって
深い根が張り巡らされているのがよく分かる。見えてくるのは、
情勢が不安定であればあるほど、都合が良いとする構図があること。
我々の希望や生活も、その歯車の一つにさえなり得る。

最近、新聞の見出しを見ていると、
(おいおい大丈夫か、どこへ行くつもりだ?)と思ってしまう。
キーワードだけを拾って行くと、
もはや「戦後」と言うよりは、「戦前」と言った感じだ。
秘密保護法施行、文民統制撤廃、防衛装備庁発足、
武器輸出三原則廃止、憲法九条解釈変更、集団的自衛権容認…。
これらは全て、戦争しかないぞという事態を準備している。
少なくとも、”積極的に平和を求める”なら、
これらと逆のことをしなくてはいけないのでは?
一時、ネットに拡がった宮尾節子さんの詩が頭に浮かぶ。

”まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争が始まる

「明日戦争が始まる/宮尾節子」”

“核戦争が恐ろしいから戦争に反対するならば、
核兵器で威しつければ戦争に賛成することになる。
もっと小さなこと、例えば、お前を殺すぞと言われるだけで
賛成することになるかも知れなくて、大概そんなのがこの前の戦争に賛成した。
戦争に反対するのは道徳上の要求であり、我々自身の都合からではない。
我々はこれから本腰で戦争に反対しなければならない。
「戦争反対/吉田健一」“

そもそも日本人は、戦争に負けた時、
しぶしぶ「戦争のできない国」になったのだろうか?
負けたから「しかたなく平和を選んだ」のだろうか?
もしそうであるなら、日本の戦後70年も、
戦前70年も、一体何だったんだろう?と言うことになりはしないか。
僕らが学んだ教科書も、また墨塗りになる日が来るのだろうか。
確かに、”戦争に反対するのは道徳上の要求”であって、損得利害の問題ではないのだ。

http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791712960
-2015/03/15-

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