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zoom RSS 観世音の御名響く、慈悲深き土地より(帰国行程報告、後編)。

<<   作成日時 : 2014/08/26 18:59   >>

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路傍のチャイ屋の植え込みに腰掛けると、イスラム教徒のサリムは私にこう切り出した。「君は、自分が何処からやって来たのか、分かっているのか?」

少し考えて、私が「両親から…?」と言うと、彼は大きくかぶりをふって、やれやれと言った風情でこう切り返した。「ここだよ。あんたの内側にいる神だ。この世のあらゆるものは神が生み出したものだ。そして母親は、第二の神だ。自らの身体を痛めて、あんたを生んだんだよ。だから、あんたはいつも母親のことだけは、気にかけていなければいけないよ。」

-2014/07/14 日記分、コルカタ、モダーン・ロッジ、22:27

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以下、Facebookの投稿記事より(ダイジェスト)。

いよいよラダックに別れを告げ、カシミールは夏の都、スリナガルへやって来た。船の上に住んでいる、ムスリムのご家庭のお世話に。宗教や文化が変わっても、まず聞かれることは同じ、「もっと食べるか?」である。スリナガルは、一時期ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いが激化し、日本の外務省からは、渡航延期、一部退避勧告要請が出ていた。しかし、最近はまた情勢が落ち着いて来たようで、地球の歩き方の編集者も取材に来ていて、次号からは、スリナガルの頁が復活するようである。それでも街中では、たくさんの銃を構えた装甲車や兵士が今も監視中だ。

-2014/07/24 場所:Srinigar, Jammu And Kashmir, India


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5月からずっといた、ジャンムー・カシミール州とも昨日でお別れ。この州は、やはりカシミールの帰属問題があり、ラダック人もカシミール人も対パキスタンのニュースになると真剣に耳を傾けていた。最初にお世話になった、ダー村のガナデパ家では、若いご主人が村まで飛んで来たパキスタンのロケット弾で亡くなっていたし、昨日までお世話になったユースフのお兄さんも、以前、街の宗教闘争に巻き込まれて、銃を取って戦ったことがあると言う話を聞いた。前者は仏教徒、後者はイスラム教徒。共に平和を愛するとても優しい人達なのに、ある日突然、なんだか分からないうちに、無理矢理その様な殺し合いに巻き込まれてしまうのである。それが戦争の本質だと思う。犠牲になるのは、いつもなんの罪もない民衆である事を、国境沿いの地で肌身に感じたのだった。ダラムサラにて。-2014/07/26

-2014/07/26 場所:Dharamshala, Himachal Pradesh, India


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今回、コルカタに来た最大の目的は、ラーマクリシュナのお寺参りである。昨年の年明けにインド最南端のカニャークマリで出会った、巨大なヴィヴェーカーナンダ岩、その岩の名となった聖人、ヴィヴェーカーナンダのお師匠さんその人だ。帰国してから、日本語の翻訳本を読んでみた。

ラーマクリシュナは生粋のベンガル人で、19世紀の英領植民地時代、多くのインド人が、自分達のヒンドゥー・アイデンティティーに自信を喪失しかけていた時代に登場し、普遍的な信仰生活の尊さを人々に思い出させたのであった。

彼の言行録をいくつか読んでみると、人が普段なんとなく疑問に感じているけれども、誰もまともに答えてくれないような真摯な問題について、誰にでも分かる平易な比喩を用いて答えていて、正直とても驚いた。インド宗教史では、釈尊、シャンカラ、ラーマクリシュナが、彼の地の三大聖人とされているので、興味のある人は是非読んでみるといいと思う。

“この世に生まれること、死ぬこと、みな、手品のようなものさ!今いたのに、もういない!信じる、という事が出来れば、それでよろしい。世間は水、心は牛乳、知恵と信仰という形のバターを手に入れる事だ。そのバターは世間の水に落ちても、混じってしまわずに浮いているからね。”ラーマクリシュナ(1836-1886)

-2014/08/01 場所: Dakshineswar Kali Temple, Kolkata


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Panchavati Ashram at Kolkata Hooghly River
Hooghly River called 'Ganga' traditionally.

-2014/08/01 at Kolkata Hooghly River


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コルカタから、北へ約500km。標高2,134mのダージリン(旧スィッキム王国)へやって来た。この辺りは、四方をネパール、チベット、ブータン、バングラデシュに囲まれ、ミャンマーと隣接する東部辺境州(アッサム・ティーの原産地や、太平洋戦争で有名なインパール等がある)へ抜ける、狭い回廊のような場所である。

街では、日本人と同じ顔をしたモンゴロイド系のヒンドゥー教徒が、オレンジ色のヒンドゥー服で練り歩いていたり(西ベンガル州からの独立を目指す、ゴルカランド運動のデモ)、英国保護領時代の洋館に、チベット仏教の幟や旗が揚がっていたりと、カルチャーのあべこべミックス具合が面白い。

そして、インドの「きかんしゃトーマス」こと、ダージリン・ヒマラヤ鉄道の蒸気機関車は、商店街の軒先すれすれを、通行人や野良犬相手に汽笛を鳴らしまくりながら走り抜ける…。今は雨季で街全体が雲の中にあり、インド最高峰のカンチェンジュンガ(8,586m)はやっぱり見えなかったけれど、なかなか不思議な街。明日は、スィッキムの旧王都、ガントクへ。

-2014/08/04 場所: Darjeeling Himalayan Railway, India


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勢い余ってブータンとの国境の街、ジャイガオンまで来てしまった。国境線は、ただの蓋のない排水溝で、みんな普通に行き来してる。仲良しな国同士の国境って、ラフなんだね。支払い時も、インド・ルピーで払ったのに、ブータン・ニュルタム(1:1)で返って来たぞ。

-2014/08/06 場所:Jaigaon, West Bengal, India


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結局、ビザ発給日数の関係で、ブータン行きは断念。国境の街、プンツォリンだけは行き来自由なので、色々と覗いてみた。まず、国境を越えると、道端のゴミが日本程度しかない。道行く人達も親切。この差は、何から生まれるのだろう。

ブータンの小学校から帰って来て、インド側のジャイガオンに戻ると、さっき一緒に遊んでいた、眩しいくらいに笑うブータンの子供達と同い年くらいのインドの子供達が、雑踏の中で眠り、つまらなそうに物乞いをしている。道端は、インドの常で悪臭とゴミの掃き溜めである。この差は、何から生まれるのだろう。

ブータン王国の凄いところに、国の方針に「経済発展」が含まれていない事がある。民主化を選んだ理由は、暗愚な君主が出た時に、国が滅ぶのを回避する為だとも言う。もしこの非近代化路線と、国民総幸福量政策が軌道に乗って、追随する国が出て来たとしたら、それは、人類にとっては革命に近いよね。

「貧しさは、恥ではない。」と言う価値観は今の日本では廃れてしまったが、ブータンには生きた仏教があり、伝統を繋ぐ底力があるように感じた。「近代化した者勝ち競争」で、一等賞を取った事のある日本は、未だそのプライドから抜け切れずにいるし、その為になり振り構わず、色んなものを捨てて来たわけで、そんな国の人間としても、ブータンはとても気になる存在だ。

-2014/08/07 場所: Phuentsholing Town, Royal Kingdom of Bhutan


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ブータン国境から、ゴキブリ特急に38時間揺られ、デリー発にて帰国。当たり前だけど、日本には日本人がたくさんいるよね。ここが、日本人の国なんだな、と言う感じが凄くする。今回の旅では、インド/ヒマラヤ辺境の異なった文化の人々を見て来たけれど、日本も個性的な「アジアの一辺境」だなあと、改めて思う。この感覚が元に戻らないうちに、外国のガイドブック風に、自分の国を外からの目線で書き留めておきたい。

“太平洋の最西端に浮かぶ島々、日本列島。この島々には、旧石器時代より、アイヌ人、大和人、琉球人と言った人々が暮らし続けている。彼等の話す日本語は、世界のどの言語体系にも属さない、極めて特異な言語である。外見の特徴は、モンゴル人、漢人、チベット人、朝鮮人等と非常に良く似ている。アニミズムに根差した土着信仰と、大乗仏教を掛け合わせた独自の宗教観を持ち、道徳や規律を重んじる人々であるが、近年は犯罪に手を染める者も多い。自分達の民族服を日常的に着る習慣は、ほとんど失われている。

島の人々は、とりわけ好奇心と向上心が強く、他文化の優れた点を吸収する力に長けている。農業から工業へと主産業をシフトさせて来た為、現在は多量の電力を必要とする社会構造となっており、島の一部は放射能の汚染で、住むことが出来ない。ここ半世紀、島の人々の最大の関心事は、欧米型の消費生活である。一方、島の大部分が美しい山岳地帯であり、人々は山野を切り開いた狭い土地か、貴重な平野部に住居を作り、身を寄せ合って暮らしている。いわゆる本土に暮らす人々は、自分達もまた「島の人間」である、と言う意識は希薄である。”

-2014/08/11場所: Narita International Airport (NRT) Terminal 2, Japan


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Flickr / Dharma Bums

https://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/

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