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zoom RSS 印度亜大陸一周彷徨記、第十二回 / 13'年1月1日〜現存日記手帳分(上)

<<   作成日時 : 2014/04/20 01:05   >>

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遅々として進まず、長らく鈍行運転で更新して来た、印度彷徨記。
ようやく、旅中の日記手帳が残っている、2013年初頭まで漕ぎ着けました。

2012年までの日記は、実際にはインドの鉄道車内で紛失してしまった為、
写真とその写真に付いているタイム・スタンプと記憶を元に再構成したものです。

旅から帰り、インド関連の書籍を大分読み漁ったので、2013年以降の日記も、
新しい考えに基づき、改めて再構成しようかと迷いましたが、来月15日からの再インド行きを控え、
十分にその時間も割けれまいと判断し、2013年以降は、当時の日記を
ほとんどそのまま載せる形にしました。内容は、今までの掲載分に比べ、時間や行動等の
記録要素が強いものになっていると思います。他、旅中に浮かんだ散文等も併記しました。

現存日記手帳分は、上下に分けて、掲載致します。


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2013/01/07 Madurai ミーナークシー寺院

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印度亜大陸一周彷徨記、第十二回 / 13'年1月1日〜現存日記手帳分(上)。

2013/01/01
Puri(日本山妙法寺)〜Chennaiへ(列車泊)

元旦は、一時四十五分就寝、八時過ぎに起床。並木さんがチャイを持って来てくれた。朝は、昨夜の鍋のおじや。食後、駅、ネットショップへ行き、WL8人のまま、見切りをつけて宿をチェックアウト。ばつさんや並木さんに軽く挨拶をし、出発。ブバネシュワール行きバスが出発したところを手を振っていると止まってくれて、リクシャーのドライバーに五十ルピー渡し、乗車。車内は酷く混んでいてドアが空いたままの入口に立ったまま二時間、ブバネシュワール駅へ。手すりをしっかりと握らないと、車の動きの反動で外にほっぽり出されてしまいそうであった。二等待合室にいるとインド人の男が私の左隣に座って来て、日本語に(私が呼んでいた岩波文庫の「ブッダの言葉」)興味を示し質問して来た。これまでにも同様の質問はたくさんもらって来たが、彼はとても日本びいきであるようで、日本人は「Strong」と言う。「Hiroshima Nagasaki」についても言及し、私も近現代の日本について、一言二言意見を述べた。彼は日本に行きたいがきっかけがないと言うので、後日、日本への旅行案内があったら、送る旨を約束した。もし彼からメールが来たら、帰国後送るつもりである。その後、彼は夕食を食べに行き、それっきりであった。駅の玄関ホールで、電光掲示板を見ている時に隣で同じように見ている青年と少し話をした。タミル語ウーリヤ文字について質問すると、「もちろん読める」と言われた。列車は少し遅れ、予定時刻の一時間後、二十二時頃に乗車。チェンナイへ。


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2013/01/02
Chennai(終日移動)

八時客車のベッドにて起床。ベッドを直す(恐らくこの時に、初日から十二月三十日まで欠かさずに書いて来た日記帳を失くしてしまったようだ)。車窓の景色は、水田と水牛、湿地と椰子、バナナの畑となり、次第に蒸し暑く、三十度ぐらいはありそうだった。扇風機はフル回転。十七時三十五分にチェンナイ着。リクシャーで宿へ向かうが満室で、隣のパラダイス・ゲストハウスへ泊まる。一泊三百五十ルピー。少し歩いて近所の比較的綺麗なレストランで夕食。たまたま手持ちのミネラル・ウォーターが切れたので、出されたグラスの水を飲む。ネットショップで、フェイスブックに新年の挨拶と写真を載せる。洗濯に二時間ぐらいかかってしまった。


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2013/01/03
Chennai(政府観光局、発病の為に通院、療養)

二日の夜から激しい下痢に襲われ、夜は眠れずに下着を洗って寝るの繰り返し。それでも朝、なんとか出発し、地図に載っている政府観光局を目指す。朝食にバナナ二本とセブンアップを買う。朝から体が怠く、下痢を我慢しながら何度も道を聞き直し、ショッピング・センターの斜め向かいに観光局を見つける。そこで、チェンナイで行われている音楽祭のスケジュールを手に入れる。リクシャーで会場に向かうが、まだ十時。音楽祭は十三時三十分開演である。体は非常に怠く、公園を見つけて園内のベンチで横になって休んでいたが、十一時に一時閉園であるらしく、追い出される。その後、小学校の庭で休んだりしつつ、会場に向かい建物の中にある空いた椅子にぐったり座って開演時間を待っていたが、その間もどんどん怠さが増し、下痢も酷くなって来た。結局、会場では十二時半まで粘ったが、どうにも鑑賞に耐え得る体調ではないと判断し、リクシャーでゲストハウスに戻る。その後も下痢は止まらず、試しに体温を測ると、三十八度一分。慌ててカウンターのマスターに病院を聞くと、幸いもの凄く近場であった。十六時過ぎに行くと、外国人は受け付けないと看護婦に言われたが、男がやって来て大丈夫だと言う。十八時半からだと言われて出直す。十八時半までゲストハウスで待つ間に、昨日の夕食を全部吐いてしまった。再びゲストハウスへ向かう途中で、また吐いた。一日中、暑さと怠さでマンゴー・ジュースを飲んでいたので、最早それぐらいしか吐くものがない。通りで立ち食いしていたインド人たちが、驚いて私を見ていた。病院の受付で、整理券のような紙切れを貰い、椅子に座って待つ事二時間、二十時半頃にようやく診察室へ。事前に英文で症状を書いておいた紙を医師に渡し、診察して貰う。生水ではなく、ミネラル・ウォーターを飲めとの事。処方箋を書いて貰い、別棟でいくつものカプセルを貰って帰る。

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2013/01/04
Chennai(聖トマス殉教地=サン・トメ聖堂、ヒンドゥー寺院、古典音楽祭等)

朝六時過ぎに目が覚めると、熱が下がり下痢も止まっていた。久々の快眠である。意識するともなく、何か大きなものに対する感謝の念が沸き起こり、目頭に熱いものが溢れ出た。そう言えば、年末にコナーラクの食堂でうっかり金を払わずに店をでてしまった事があった。その事を思い返し、ああこれはヒンドゥーの神々の前では何もかもお見通しなのだと。物事は、巡り巡って因果となるものであろうか。昨夜もバナナとマンゴー・ジュース。暫くは刺激のない食事とする。しかし治って本当に良かった。今日から旅も再開出来そうである。インドを歩いていると(特に大都市では)、老人、子供、女性、不具者、そう言った本来最も保護されるべき、社会的弱者の人々が、路上で人間以下の生活に打ち捨てられてあるのを目の当たりにする。それはもう、喜捨(バクシーシ)をすれば事態が解決するわけでもない。彼らは酷暑期等、飢えや暑さ、病によって亡くなって行く。膨大な数の人々である。インドに比べれば遥かにちっぽけなアジアという地域の辺境に位置する日本が、百年少し前に自分たちの国の身分制度を廃止して、平等を是とした事、教育を全国で義務化した事には、深い意味があったのだと、普通に当たり前にある事を痛感させられている。近くの近距離列車で、カーパーレーシュワラ寺院へ。鉄道の駅周辺の河川は、真っ黒で酷い異臭を放ち、川底からゴボゴボと不気味な気泡が上がっている。駅舎の窓ガラスは全て叩き割られ、トイレのドアは閉鎖されそれも蹴り破られている。階段脇の壁には、噛みタバコの真っ赤な唾を吐きかけた跡が痛々しく、駅舎前には店もなく、ただ土埃の路面に死んだように眠る人間や野犬が転がっているだけだ。私の眼には、その光景は文明が滅んだ跡の世界のようにも思え、この街に住む人々の心は、極限にまで荒み切っているのではないかと思うと恐ろしくなった。カーパーレーシュワラ寺院では、ヒンドゥー教徒でないので、堂内を追い出された。神像を撮ってはいけないとの事だった。ドラヴィダ建築は、神々の姿が生き生きとしていて、今にも動き出しそうである。そこから、サントの教会へ徒歩。白塗りのとても美しい教会だ。インド人のキリスト教徒が何人も礼拝に来ていた。別棟地下には、聖トマスの墓。十二使徒の一人である。歴史がすぐそばにある事を感じる。歩いてそのまま、マリナ・ビーチへ。沿岸の河川が酷く汚れていたが、海もごみが多く、大分汚れているようだ。それでも、少年たちが楽しそうに海辺で遊んでいた。再び列車に乗り、セント・ジョージ砦へ。金曜の為、休業。ジョージ・タウンを歩いて、適当なところでリクシャーを拾う。音楽祭会場は、昨日とは違う場所であった。女性ヴォーカル、男性ヴァイオリン、男性タブラのトリオ、女性ダンス・プログラムが二つ、最後の男性歌手は、有名な人であったようだ。最後の演目で、左隣の男性が色々と教えてくれた。原付で来ていたその男性は、終演後、ゲストハウスまで送ろうと言ってくれたが、遠すぎた為断念。別れた後、リクシャーとの値段交渉の際にも心配して話しかけに来てくれ、とても優しい方だった。名刺を渡せば良かった。これからは、身につけていようと思う。彼からの質問は、日本は単一言語か、人口はどのくらいか、私からの質問は、歌の言語と歌われているテーマ等。一月五日午前零時三十分記、パラダイスGH、チェンナイ


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2013/01/05,06
Chennai(パルタサラティ寺院等)〜Mahabalipuram
Mahabalipuram(海水浴、海岸寺院、アルジュナの苦行等)〜Chennai〜Maduraiへ(列車泊)

日記なし。


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2013/01/07
Madurai(ミーナークシー寺院、ガーンディー記念博物館等)

今朝、6時車内起床、7時45分頃マドゥライ着。リクシャーを拾ったが、ミナークシー寺院がシーズンの為、どこの安宿も満室。ようやく一つの宿が見つかる。50ルピーが宿探し代で、100ルピーをリクシャー・ドライヴァーに支払った。チェック・イン後、すぐにミナークシー寺院へ。今まで見て来たヒンドゥー寺院の中では、格段に素晴らしい寺院であった。建築はドラヴィダ様式の粋。非ヒンドゥーである私は勿論、内院へ入る事が出来ないのだが、インド人達の信仰の篤さには驚かされる。後に見たティルマライ・ナーヤカ宮殿は大きな建物であったが、もう少し手入れをした方が良いと思った。文化遺産が勿体ないではないか。その後川を渡り、大分歩いた先に、ようやくガンジー記念博物館に着く。1700年代東インド会社等に始まる欧州(英国)によるインド侵略の歴史と、独立に至るまでの痛々しい記録を展示パネルで紹介。最後にガンジーが影響を受けた米国のマーティン・ルーサー・キング牧師、そしてこの二人がヘンリー・デヴィッド・ソローの「森の生活」、「市民の反抗」に強い影響を受けていた事が分かった。遠く南印度の地に、そして印度独立の道程にソローの自由への渇望、精神が関係していた事を思い知らされた。ガンジー記念博物館からの帰り、建物から出ると、敷地にサイクル・リクシャーの客引きの男が現れた。彼は私を初老のドライバーの元へと案内した。「俺の父親だ。」と言う。最初は安く交渉していたが、「親父は、もうあんな年なんだぞ?」と言われれば、賃下げ交渉も躊躇してしまう。背が高く細身の親父さんは、一所懸命ペダルを漕いでくれるのだが、やはりとても遅い。高架橋を登る時にはさすがにバテてしまって見ていられないので、降りて後ろから車を押してあげた。客である自分が親父さんの運転を人力で手伝うと言うなんだか滑稽な構図。駅では、初めて多目にルピーを支払った。親父さん頑張ってねと言うつもりだったが、親父さんはノーリアクションで、紙幣を受け取ると黙ってその場を離れて行った。明日はWLチケットはあるが、朝バスターミナルから、カニャークマリへ向かう予定でいる。21:43 HOTEL VRR TOWER マドゥライ



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「ネット・カフェを探していた時に」

マドゥライの駅前の辻で
ネット・カフェの看板を探しながら
顔を上げてキョロキョロしていると
ライ病病みの老女が
緑色に染まり指のない
その腕を差し出し
バクシーシをねだっているのが
目に留まった

もうすぐ
日が暮れようかと言う時間
私はただ、ネット・カフェを探している
ただそれだけだという一瞬の迷いと言い訳に
彼女の姿、その爛れたお顔をこの目に留めておきながら
瞬時に、目を逸らしてその場を立ち去った私がいた

日頃、遠い異国の惨事や戦争、貧困を
胸を痛めて見ていながら
実際の悲惨を目の前にして
こうも易々とその救いの手を
拒む私がいたのだと
その私の偽善な心が、彼女の姿となって
私の心に深く刻まれたのだった


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2013/01/08
Madurai〜Nagercoil〜Kanyakumari(インド亜大陸最南端、クマリ・アンマン寺院等)


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朝8時に、マドゥライのHOTEL VRR TOWERをチェックアウト。昨日の夜、チェンナイ・エグモア駅前で余計に買った弁当が、やはり腐っていたようで、また吐いてしまった。食べ物、飲み物には本当に注意が必要である。長旅においては、体力を落とすわけにはいかないのだ。オートリクシャーで、昨日行ったガンジー記念博物館の少し先に、大きなバスターミナルがあった。ガンジーのところまで、リクシャーで10分ほどだった。歩いたら、1時間以上かかったのではないか。バススタンドは、大きいわりに聞いたらすぐに乗り場が分かり、8番に来たバスに乗る。トリヴァンドラム(明日行く)を先に経由して、5、6時間(8:45発、14:30着)もかかったが、途中でトイレ休憩もあったので大丈夫だった。町へ行くと、一人の男に500ルピーの宿があると言われるが、400と粘り、今いるこのHOTEL SAFAHに一泊することにした。オーナーは、一階の部屋で寝ていたようだが、かわりに今の男にチェックインさせてもらう。北インドではあり得ない、南インドの正直な人々ならではのやり方である。その後、町での昼食では、スイス人カップルが向かいにおり、少し話した。マハーバリプラムを推した。一ヶ月、南インドに集中して滞在するのだと言う。インド最南端、コモリン岬突端にあるガンジー記念堂は、ガンジーの遺灰を海に撒いた場所に建っているらしい。二つの名所岩とベンガル湾、インド洋、アラビア海、三つの海の合流点だと言う。見た目には、やはり一つの大きな海である訳だが、赤道近くの湿った雲が厚く垂れ込めており(実際、夕刻に土砂降りが夕立として降った)、見た事のない海の雰囲気であった。その後、上半身裸、裸足で、初めてヒンドゥー寺院の内院まで参拝する(ヒンドゥー寺院は、基本的に、異教徒、外国人は敷地内、奥院には立入りが出来ない)。この寺院は、女神クマーリーを祭ったクマリ・アンマン寺院である。聖クマリは、1世紀には、すでにエジプト在ギリシア人にも知られていたと言うから、驚きである。内院までぐるりと周る道と近道とがあり、どういうわけか近道だけ20ルピーを払う。遠回りの道は、タダである。インドには、この手のよく分からないルールが多い。内院の僧に賽銭を払うと赤い粉をくれて、印度人に倣い、眉間につける。最後の場でも賽銭を払うと、茶袋に赤い粉を入れたものをくれた。日本まで持って帰ろう。今夜の宿は水シャワーであったが、スペースが広く安宿の中では綺麗な方で、思わず洗濯をし、水シャワーを浴びる。この国では砂埃と、裸足にならなくてはいけない名所が多く、数日に一度は体を洗いたいところである。今回は、マハーバリプラムの海水浴以来、3日ぶりである。南インドは水シャワーでも寒くはないし、汗もかくのでなるべく入りたいところだが…。マドゥライの宿で、天井の扇風機を最大にして寝たら、やはり喉を痛めた。チェンナイでは大丈夫だったのだが。今夜もとても暑いけれど、扇風機は切って寝ることにする(そう言えば、でっかいトカゲが部屋の壁にいた!)。


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南印度の最南端
今夜も眠れぬほどに暑い夜
菓子屋の青年に
タミル語で「ありがとう」を教えて貰う
「ナンリ〜」「ナンリ〜」
通りでは、店の灯りの下
家のない貧しい女性と子供、男達が
意外や楽しそうに談義中
ここ南印度の突端で
人々は祈る為に生き
生きる為に祈り続ける
茶屋では男が
見事なコップさばきで
甘いミルクコーヒーをいれてくれる
その立ち飲み場で
「日本は、キングダムか?リパブリックか?」
と聞かれ、返答に困る
確かに、外から見たら分かりづらい
タミル語の「ナンリ〜」を
明日から使ってみよう

HOTEL SAFAH カニャークマリ、PM 23:00 2013/01/08

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2013/01/09
Kanyakumari(ヴィーヴェーカーナンダ岩等)〜Nagercoil〜Trivandrum〜Quilon


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1/9 7時起床、8時出にて、ヴィヴェーカーナンダ岩へ向かう。まず漁港のような所に出、水揚げされたばかりの魚の競りが行われていた。その後、岩のボート乗車が始まったようで、長い行列が動き始めていた。一番最後に並ぶ。並びながら昨夜買ったクリームパンの残り二つを食べる。列中でチャイを頼んだが、なみなみとつがれていること、手に荷物が多かった事、混雑もあって一瞬で零してしまい悔しい思いをする。いつの間にか、ベンガルールからの参拝観光の男たちのパーティに混じってしまい、気のいい奴らで、列に並んでいる間、写真を撮り合ったり、一緒にチケットを買ったり、冗談を片言英語で交わし合ったりして楽しく過ごす。岩へのボートは、一時間半ほどで乗船出来、岩では他二人のインド人と三人になった。一人の男は、ベンガルールでオートリクシャーのドライバー、30歳で結婚して二年目だと言う。まだ結婚していないと言うと、少し呆れていたように思う。彼らはやはり信心深く、像(ヴィヴェーカーナンダはヒンドゥーを改革したカリスマらしい。生誕150年とか)の文面をメモったり、オウムの字像を買ったり、ポスターを買ったりしていた。私はヴィヴェーカーナンダのキーホルダーを買う。ドライバーの彼が、ポーチに付けてくれた。彼らの地元のグルを紹介してくれた。どうやら、こうやってこっちの人々は、地元のグルと一緒に聖地巡りをするもののようだ。年代は若い層を中心に、町内会の青年団のようで和気あいあいと楽しそうである。オウムの字像が光る岩窟へ一緒に入って座ったりして、地元のインド人の聖地参拝の雰囲気が掴めて、非常に良い経験をした。彼らとは、下船後別れる。その後、予定通り11時半チェックアウトで、12時バス停へ。トリヴァンドラム行きのバスが、結局14時まで来ないと分かり、まずはナガルコイルまで行き、そこからトリヴァンドラム行きに乗り換える事とする。13時半ナガルコイル着(トリヴァンドラムと思っていた所はここだった)、15:45トリヴァンドラム着。すぐにクイロン行きバスに乗り、18時にクイロンに着いた。政府ボートがストライキとの事で、ATDC(地元の観光局)のボートを予約する。その後、予定していた宿を含め、10件近く皆満室(なんでもその夜、ヒンドゥー指導者のお祭りがあったようだ)、街を一周して日もとうに暮れ、ATDCに戻ると、ポテトチップを食べながら、さっきのATDCのおやじが『どうした!?』と言うので、訳を話すとケータイで宿を探してくれた。宿は少し高かったが、一泊600ルピーのコーラムビーチ・リトリートに決まり、早々、19時半にチェックイン。さすがに、ようやくのチェックインであった。フィッシュ・カレーをルームサービスで注文し、ビールを飲みながらTVでジャングルの動物特集を観て、就寝。 


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2013/01/10
Quilon〜Alleppy(バックウォータークルーズ、水郷地帯約87kmを終日ボートで北上)

1/10 8時起床、9時半ATDC、事務所へ行くとATDCのおやじがこの日の到着先であるアレッピーでの宿をもう予約したと言われ、600ルピーを500ルピーにまけて貰う。更に予約料で150ルピー払う。こういうのは先に言って欲しいのだが…。ボートは暫くすると満員になり(ほぼ白人だらけだったが)出発。ボート・クルーズは、10時半発の18時半着。13時半に昼食、夕刻に茶で停泊。想像以上に美しい景色とこの河川と椰子の森の環境の中で育まれた暮らしの光に見とれてしまう。やはりゴミの多いところは悲しかったが、アレッピー付近は大分奇麗にしてあって、夕陽の沈む辺りもとても良かった。iPodでトロピカリアのコンピや、ジルベルト・ジル、ジョイス、ミルトン・ナシメントを聴いていたが良く合った。光景の美しさにおいては、この旅中1、2位の素晴らしさであった。ボートから見える人々の暮らし、洗濯、炊事、工事、子供たちの下校、遊び、釣り、沐浴、彼等の素のままの生活が何よりも美しく見えた。みんな手を振っていた。素直である。ゆったりとした時間の中にこそ、光はあり得る。明日はコーチンまでバスで行き、カタカリ・ダンスを観たいと思っている。0:17 カーサマノロ (夕食は400ルピーもした!しかし満足の内容。魚も美味しく、昼はバナナ・フライを食べた。)


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2013/01/11
Alleppy〜Cochin(コーチ=ムジリス・ビエンナーレ、カタカリ・ダンス・センター等)


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1/11 7:45起床、快適な朝、洗濯物は乾いているし、椰子とバナナの木に囲まれて、既に黄色い陽も昇っていた。8時半頃チェックアウトしようとすると、朝食付きだと言うので頂く。トースト、オムレツ、フルーツがたくさんととても良い朝食だった。やはり支払いに比例して、これだけ良い宿があるのである。ポーランド人が3人、隣の宿に泊まっていて、2weekのインド滞在だと言う。歩いてバス・ステーションへ。プラットホームNo.1と聞いたので行くが、なかなかコーチン行きがない。足の不自由な松葉杖の男が、親切に教えてくれた。彼は、ターミナルで困っている人々みんなに声を掛けて、松葉杖で方々の正しいバスへと彼等を導いている。男はそれが日課なのだろうか。白人の男の子とイスラエルの女の子と同席であった。女の子はやたらコーチンのバス停に詳しく、長期滞在なのかもしれなかった。元町エルナクラムの宿が満室。向かいの寂れた宿が300ルピーで部屋を取ったが、とても汚く蚊や虫が多い。部屋の天井付近は、壁がない構造なのである。刑務所のような陰気な雰囲気の部屋であった。特にベッドに虫が多く、危険な予感である。正午チェックイン、歩いてボート・ジェッティへ。一時間近くも並び、ようやく乗船。2.5ルピー。初めて、ルピーの下位通貨であるパイサ銭に出会った。大きな運河と言うより内湾と言う感じか。フォート・コーチンは、オランダ風。セント・フランシス教会へ。ヴァスコ・ダ・ガマが当初埋葬された石碑(墓)があった。そこからダッチ・パレスへ向かうが休日だった為、偶然見つけたコーチンのビエンナーレへ。横浜トリエンナーレのように、かつての港湾倉庫跡地を展示会場としている点は横トリと同じだが、こちらはほぼ廃墟のような箇所もあり面白い。小一時間だけ一会場のみしか観れなかったのが残念である。カタログを日本に帰って買ってみたかったので、アートショップのスタッフ、シェイムに頼んでおいた(メールを)。その後、カタカリ・ダンス・センターへ行こうとすると、リクシャドライバーが、他の場所と間違える。本当に行きたかった方へ行っても、向こうの方(彼が薦める場所)は政府がやっているからダンサーが良いと言い張る。それでは、と彼が推薦する方へ向かうべく方向転換。しかし、250ルピーはダンス本体で、プラス30分でもう200ルピー。写真代でプラス50ルピーの計500ルピーとは、ちょっと高過ぎた。内容は良かったが、結果、当初の場所よりプラス250ルピー多く払う事になってしまったのは、個人的に問題である。結局その後、本当に行きたかった方の施設に戻って、音楽ライヴを観る。バンブー・フルートとタブラ×2のトリオ。インストであったが、とても良い演奏であった。帰りはジェッティーの最終便が21:45にやっと来て、渡岸後、来た道を真っ暗な中歩いて帰る。幸いレストランで開いているのがあって、90ルピーのヌードル+コーラ(30ルピー)で夕食。そして、この日記を書いている今この時、虫がやたら多い。足にも登って来るし、幼虫みたいに小さいのもいる。初めは不殺生という事で指で弾いていたが、これが南京虫??今、こうして荷物をベッドから引き離しても、ベッド上を虫が徘徊していて不気味である。枕元にある充電中のiPodをどかすと、何匹もいるので思わず悲鳴を上げてしまった程である。さすがにこれではベッドでは寝れない。仕方ないので、イス(プラスチック製の白いイス)で寝る事にする。とは言っても、ベッドとは床で繋がっているので、被害がないのを祈るしかない。とても汚い宿だとは思ったが、さすがにこれは参った。300ルピーでも高いと思う。今夜は、ダンス音楽に関しては良かった。明日朝、バス停からマイソールへ向かう予定である。アトラス・ロッジ、コーチン 0:45

「コーチンの夜辻で」

中年の夫婦が
服を燃やしながら
暖を取り眠リに就く

ここは南印度の港町
コーチン旧市街エルナクラム
四辻の歩道は午後八時

剥き出しの路上
その固いコンクリートの褥で
犬たちのように体を曲げ
車道へ背を向けたまま
眠りに就こうとする

近くには屋台
サモサや魚のカレーをかき込む
食器を抱えた影たちが蠢く
その傍らで

中年の夫婦が
服を燃やしながら
暖を取り眠リに就く

剥き出しの路上
その固いコンクリートの褥で
犬たちのように体を曲げ
車道へ背を向けたまま
眠りに就こうとする

二人にとって
燃えゆくこの焚き火だけが
彼らを守る家
そのものかのように
めらめらと炎を上げて
二人の焚き火は
この暗い四辻を照らす

ここは南印度の港町
コーチン旧市街エルナクラム
四辻の歩道は午後八時

二人にとって
燃えゆくこの焚き火だけが
彼らを守る家
そのものかのように
めらめらと炎を上げて
二人の焚き火は
この暗い四辻を照らす

https://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/72157640627361024/

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2013/01/12
Cochin〜Calicut〜Mysore(終日バス移動)

1/12 昨夜は虫騒動の為、イスで就寝。熟睡は出来なかったが、3,4時間は眠れたと思う。7時起床、7時半チェックアウト。奇跡的に一カ所も咬まれなかった。ロッジの主人に虫の話をしたら、把握していないようだった。次の客の為にも、ベッドが交換されますように。8時バス停(歩いて)、マイソール直通バスが今日はないと言うので、教えて貰ったカリカット〜マイソールのコースで乗る。10:45、一旦バスを乗り換え、14:15カリカット着。マイソール行きを見つけて朝食を買うと、もうバスが出始めたので急いで飛び乗る。車内では、昨夜の事もあってほとんど寝ていたが、気がつくとなかなか高度のある山の中を走っている事に気づいた。デカン高原である。おそらくこれが南端なのだろう。ただの椰子やバナナの木だけではない、樹木(束になって生えている竹のような木とか)の光景が、増々、山道と言う感じであった。国立自然公園の近くであったと思う。しかし、道のスピード防止の段差では、バスが丸ごと飛び跳ねるので困る。尻と腹に直撃を喰らうことがあるぐらいに、滅茶苦茶跳ねる。長かったが、20:45頃、マイソール着。しつこいオートリクシャーのおやじに、いつもなら追い払うのだが疲れもあってついて行くと、600ルピーの宿になってしまった。今回、初めてクレジットで6000ルピー(約1万円)を下ろした。入国時に持っていた米ドル、日本円の現金を使い切ったのである。取り敢えずATMで使う事が出来て良かった。21:15チェックイン。22時頃、南インドの定番定食、ミールスで夕食。ミールスは大きなバナナの葉を食器代わりに、様々な具材を捏ねくり回して食べるものであるが、自分はスプーンがあればそれを使ってしまう。明日は、マイソール宮殿と、まずは先に久々に切符を買う予定でいる。ヴィシュナラス・ロッジ 1/12 23:38

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2013/01/13,14

1/13 9時起床。街でネットショップを見つけたので、14時頃まで久々にネットに繋ぐ。安否を尋ねるメールが何回か届いていた。その後、マイソール宮殿。宮殿は、対英戦争を戦い続けただけあって、確かな国力を感じさせるものであった。見学後駅へ向かうが、切符窓口は日曜の為、14時までで営業終了。仕方なくバス停へ行くと、マイソールからゴアまで行くバスがあると言う。16時の回があると言うので、道に迷いながら宿へ戻り、リクシャーでバス停へ。バスに間に合い、1/14 7:15に長い旅の末、パナジ着。朝飯後、列車予約所に向かうが、ムンバイ行きがWL66(キャンセル待ち、66人)と言うことでキャンセルし、バスで予約を入れる。9:30、パナジ教会、途中ネット、サン・セバスチャン礼拝堂へ。徒歩でその後、州立博物館。やはり全荷物を背負っての移動はきつかった。12:00、昼食。13:00〜15:30、オールド・ゴア。ポルトガル統治時代の独特な気品がある、椰子の木が似合う教会群であった。15:40、再びパナジ着。16:10、マプサ着。16:50、アンジュナ・ビーチ着。宿のシャワー室でシャワー後、18:00からカジュラーホーで一緒だった廣田さんと再会(OASISレストラン)。お互いのその後の旅の話に花が咲く。彼と現在ルームシェア中のリョウタくんと知り合う。彼は明日、マプサからムンバイへ向かうらしい。それから、深夜1:00頃までアンジュナの浜を歩いたり、焼きトウモロコシを食べたりして過ごす。夜更けには、浜辺の波が段々満ちて来て、白人の若者達がその波打ち際でのトランス・パーティーに興じていた。セックス、ドラッグ、トランス・ミュージック、まさにゴアな場所である。明日は日中、ここでのんびり過ごし、夜、ムンバイへ向かう予定。マナーリー・ゲストハウス 1:29


画像



「ここは、南印度」

ここは、南印度
漆黒の椰子林をぬって
スピードをあげながら
夜行バスが転がって行く

窓の外を見上げれば星々
遠く黒々とした地平線を
ミミズのような列車の灯りが近づく
時折過ぎ行く集落の
家々の温もりにも似て

ここは、南印度
世界はまるで
太古から醒めぬ甘い夢のように
去る者は去り、物言わぬ
ささくれ立った岩くれだけが
祈りと栄華の記憶を留め
踏切を待つトラックの運転手は
窓から腕を垂れて、今夜も笑っている

ここは、南印度
山羊たちは、体を丸めて眠り
象は虹を跨ぐ夢に落ち行く
聖者の心に映ったのは
如何に生きて死すべきか
という、死活における問いであったか

ここは、南印度
併走する列車の鉄格子ごしに
様々な印度人のシルエット
彼らの姿が近づいては
やがて、元の椰子林の中へと
消えて行った

ここは、南印度
“あらゆる実在は、空である”
緑色の小さなトカゲが
羽虫を追いかける
そのぎょろついた瞳で
私に笑いかけるのだ

https://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/72157640628084073/

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昨年、日本でも公開されたボリウッドの名作から。



Dhoom Taana Full HD Video Song Om Shanti Om / Deepika Padukone, Shahrukh Khan



"Kashmir Main Tu Kanyakumari" Chennai Express Full Video Song

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印度亜大陸一周彷徨記、第十二回 / 13'年1月1日〜現存日記手帳分(上) Cats Berry Records Blog/BIGLOBEウェブリブログ
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