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zoom RSS 印度亜大陸一周彷徨記、第七回、バナーラス / 2012年12月23〜24日

<<   作成日時 : 2014/03/17 02:06   >>

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空を流れるものに、いつかは偶然、唄うのだろう。
音が流れんだ、脳裏に。いつかは当然、届けるだろう。
あ、肌で感じた鏡のように映っただんだん雲に、鳥。
あの鳥はこの地上を舞う僕だろ?
中村一義 / 交響曲 第六番 対 / 流れるものに

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〜印度亜大陸一周彷徨記〜 第七回、バナーラス / 2012年12月23〜24日

 リチャードと少し遅い朝食兼昼食を、宿の最上階にあるレストランで摂る。値段が安い割りにそれなりに腹が膨れる、エッグカレーとチャパティを注文した。たまたま私のテーブル席の向かい側が空いており、そこに一人の若い白人の女の子が座った。レストランの入口を入る時に、隅のフィリピン人の女の子たちのグループに軽く「Hi」と言って入って来たその子は、僕が食べているカレーは美味しいかと聞いて来たのだった。彼女はウルグアイ人で、名をカネーラと言った。リチャードがその日の午後、ヴァラナシの寺院を巡りたいと言うので、私は幾つかの寺院をガイドブックの中から探し、彼に地図を見せる。そんなやり取りの中で、リチャードがカネーラの母国語であるスペイン語にも堪能である事が分かり、二人はスペイン語で何やら言葉を交わした。スペイン語が出来る人がいると言う安心感もあったのだろう、自然と午後の寺院巡りに彼女も加わる事となった。まず目指す事となったのは、宿から1キロ程南西に位置する、ドゥルガー寺院とトゥルースィー・マーナス寺院であった。カネーラは白人であったが、南米人気質と言うか彼女の生来の気質であるのか、ふわふわと明るい雰囲気の子で、一眼レフのカメラを道行く興味対象に向けては、色々と写真を撮って歩き回っていた。途中、裏通りの小さなヒンドゥー寺院を覗くと、その寺院の前庭で白人の若者三人が、インド人の教師と共にヨガのレッスンを受けているのが目に入った。そのレッスンは、先ほど終わったところであったらしく、また同じ朝の時刻に行うと言うことであった。寺院へと向かう通りには、赤煉瓦を積んでトタンを載せただけの貧しい人々の家々があった。家の庭は、アスファルトの通りを利用していて、炊事場と簡単なベッド等があり、小さな子供たちはカメラを向けると可愛らしくポーズを取るのだが、その後にしっかりと金銭を要求するのだった。そのように手を伸ばす子供の顔には、先ほどのポーズの中にあった笑顔はなく、演出としての笑顔であったと言うことが分かると何とも寒々とした思いがしたのだった。しかしながら、私たちと同じくただ淡々とした日々の日常生活の空間の中に、こうして異国の人間が踏み入って興味本位でバシャバシャと写真を取って行くと言うその構図の中にこそ、この寒々とした感慨の本質が在るように思われた。公園で遊んでいる子供たちを無邪気に撮っていたカネーラも、撮った後の子供たちの金銭要求の執拗さに戸惑っているのだった。

 まず最初に到着したのが、シヴァ妃にして戦の女神ドゥルガーを祀った、ドゥルガー寺院である。寺院全体はその鮮烈な深紅の色に塗られていて、私に連想させたものは鮮血と業火であった。本堂は、外国人禁制であったはずだが入る事が出来、堂の中の人に紫色の花輪を肩に頂き、少しの施しと共にドゥルガー女神への献花とした。ドゥルガーにまつわる一般的な伝説はここでは割愛するが、ドゥルガー自身の出自は、デカン高原に位置するヴィンディヤ山脈に住む土俗神にあると言う。ヒマラヤのカイラス山とヴィンディヤ山との背丈争いの伝説等からも、デカン中央部とヒマラヤ山麓部での覇権の争いが過去にはあったようである。10本以上の手に神戟を持ち、シヴァやヴィシュヌの口光から生まれ出たドゥルガーは、正に勝利を象徴する女神とも言える。少しでも大きいヒンドゥー寺院になると、外国人は異教徒として中には入れて貰えないので、このように参拝を許してくれた事が嬉しかった。異教徒への参拝に対する寛容の度合いは、寺院によって異なる。ドゥルガー寺院のすぐ隣に、トゥルースィー・マーナス寺院があった。この寺院は「ラーマのお寺」として、現地の人々からは大変な人気があると言う事である。サンスクリット語で書かれた『ラーマーヤナ』を庶民に分かりやすくヒンドゥー語に訳した人物がトゥルースィーダーで、この寺院の名称の由来ともなっている。大きな白い石造りの堂内では、一階中央奥で祈祷の音楽が鳴り響いていた。私とリチャードは、二階にあったラーマ物語のジオラマ・コーナーを観に行く。リチャードと私が、薄暗いラーマの見世物部屋を出て来ると、カネーラは既に寺院の入口で待っていて、近くのインド人と楽しそうに談笑している。カネーラは、雰囲気から歳は二十代前半ぐらいではないかと思われたが、いつも愛嬌のある笑顔で、人種に関わらず、誰とでも友達になれるような親密さを常に振り撒いていた。そこを見ても、まだ正午辺りであったので、またガイドブックを見て、今度はダシャーシュワメード・ガートの近くにある、旧市街のヴィシュワナート寺院へ向かう事とする。朝に通って来た道を再び北上し、旧市街の中に入って行った。しかしこのヴァラナシの旧市街と言うのが、恐ろしい程に迷宮化した狭い路地の絡まった地域で、なんとか寺院前に辿り着いたものの、参拝に来たインド人たちが長い列を作っていて、かつガイドブックにある通り、異教徒は中には入れて貰えないのだった。寺院の近くに、崩れた建物の廃墟跡があったので、カネーラとそこから中の黄金寺院を覗こうとしたのだが、すぐに警備の警官に見つかってしまい、中を見る事は遂に出来なかった。せっかくここまで来たのだからと、結局、再びダシャーシュワメード・ガートを見に向かった。ガート沿いに少し下流へ歩き、ムンシー・ガートを通りかかったところで、何やら年代物の時代劇映画のロケをやっている現場に出くわした。ガートの狭い路地の階段を、真っ白な服を来たいかにも主人公といった感じの俳優とサリーを来た女性が下りてくるシーンである。面白いのは現地で徴集されたと思しき、本物のガンガーにいるサドゥたちで、主人公達もよりも幾分か得意そうにその場面を演じ切っており、周りに出来た人だかりの中で、次の監督の指示を待っているのだった。

 ムンシー・ガートで、リチャードと映画のロケを見ていた間に、カネーラが何処かに行ってしまったので、探してみると、彼女はアルゼンチン人のカップルの旅行者と友達になっていた。この後、彼等アルゼンチン人のカップルと、リチャード、カネーラ、自分の5人で昼食を共にしたが、既に自然と公用語がスペイン語になってしまった。アルゼンチン人のカップルは2人とも長身で、男性は自然な感じに髭を伸ばしており知性を感じさせた。その後、彼等と西欧風の別れを交わし、3人で宿に帰る。夕方、リチャードがデリー方面へ帰る時間が来た。部屋にリチャードが挨拶に来たので、カネーラを部屋に呼びに行き、オートリクシャーに乗ったリチャードを見送った。彼はこの後、デリー経由でスィク教の都、アムリトサルの黄金寺院に向かったのだった。私はその足で、夜のダシャーシュワメード・ガートにプージャを観に出掛ける事にした。プージャは、端的に言えばヒンドゥの神への礼拝であるが、究極的には神との合一を目的とする。ダシャーシュワメード・ガートで行われるプージャは、ガンガー女神への礼拝であり、ガンガー・マー(母)への帰依を行為する事である。コンクリートの護岸に着くと、既に人だかりが出来ていて、岸に数メートルごとに配置してある、オレンジ色の円形壇の上で、青年のバラモン達が金色の杯に盛られた炎をかざしながら、祈りを捧げていた。周囲はけたたましい程の鐘の大音響が鳴り響き、オレンジ色のライトに照らされたガンジスの岸辺は、祈りの劇場と化していた。人々の罪障を清め、死を再生と不死へ導くガンガーは、その源にあるヒマラヤと共に、インド人の精神性の「ふるさと」であった。そしてこのシヴァ神が治める三千年の都は、天界に屹立する不滅の聖都であり、現実的、物質的世界としてのヴァラナシは、その裏表一体のコインの一つの面、現象界側の側面を見せているに過ぎないのである。翌朝、6時過ぎに霧のダシャーシュワメード・ガートにやって来た私は、思い切ってガンガーへ沐浴する事にした。岸辺に座る僧の側に、衣服や手荷物を預け河に身を納める。12月とは言え、河の水はひんやりと身に心地よく、知識として知っている河の汚染に対する思いも、実際に入ってみるといくらか払拭されたのだった。インドに来て生じた私の中にある価値観の葛藤の一つに、清らかさと穢れに対する相対的な価値基準の揺らぎがあった。私が感じる清濁の考えは、単純に先進国的衛生観念によるものだが、ヒンドゥの、ひいてはインド世界における清らかさと穢れの概念は、それとは別次元のものであると言う事が徐々に了解されて来た。例え、どんなにガンガーが衛生的に汚濁してしまっても、人々の心の中に宿るガンガーは、永遠の清浄性の中で穢れる事はない。人間を含めあらゆる生類が流れ着き、あらゆる穢れが注がれるガンガーに、自浄作用の限界はない。それは、インド精神世界が誇る一つの絶対的な特徴のひとつでもある。ガンガーを胸の裡に秘める各々一人一人の本質的な真我(アートマン)であり、瞳に宿るプルシャ(神人)と言う個存在の本質性は、あらゆる現象運動(プラクリティ)に影響を受ける事はない。仏教で言う所の、現象界(欲界や色界)に拠っても揺らぐ事のない私たち(生類及び、非生類)の真事(まこと)の存在核。それは、眼前のガンガーという大河、そのミクロ的視野における水元素、マクロ的にはそれらを内包する大地や宇宙存在にまでその相互依存性を認める事が出来るその自在性であり、私はただその事に驚きを禁じ得ず、なんとも心躍らせるものを感じる。万象の絶対存在は、人間の能力では捕捉出来ないあの言葉、梵(ブラフマン)に昇華される。アートマン即ちブラフマン、梵我一如の不二一元論は、ヒンドゥーのヴェーダンタ哲学の枠を超えて、仏教を大乗へと導き、私たちアジア人の潜在意識に実は深く滲み込んでいる。同じアジアの民族にある極東の島に生まれた私には、中華(中国)を兄と感じ、またインドを天竺として、父、または母と感じる心があると自覚するのだ。沐浴後、僧に真言(マントラ)を唱えて貰い、ガンガーへの個人的なプージャを済ませたが、またいつものように礼金を吹っかけられた。僧側は、この額は相応だと説得して来るが、私はいつものように一方的に常識的と思われる額だけ払い、岸を後にした。

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「ヴァラナシ /
2012年12月23、24日」

十五分に一体の割合
亡くなった人々の遺体が運ばれて来る
水面に浮かぶ遺骸の灰汁と花輪の中
飲み捨てられたペットボトルも浮かんでいる
黒々とした煤煙に燻されたガート
死を待つ者にだけ許された漆黒の河岸で
次々と火の粉を上げて焚き上がる最期の炎

焼け落ちて露となる肋骨の白
ガクンと剥がれ落ちる女性の片足
眼前、肉体は灰となり
精神は再び、還って行く

すっかり燃え尽きた遺灰の上
消火の聖水がかけられる
ボンッ!と一瞬
灰と共に水蒸気は立ち昇り
その遺灰は、河へと還される

“「ヤージナヴァルキァどの、万物は死の食物でありますが、
死を食物にするような神というのは何方ですか?」

「死とは火神のことです。そして火は水の食物です。
かように知る者は再死を撃攘することができるのです。」”

その一部始終を
足を折って尻尾を振りながら
聖なる牛たちが
ただ穏やかな視線で見守っている

一方、火葬する事の出来ない貧者
あるいは、修行者(サドゥ)と子供の遺骸だけは
橙色の布に包まれたまま
身内二人の男によって
一メートルほどの重石を結わい付けられる

私がさっきまで踏んでいた石は
死者と共に連れ立って
舟は沖へと漕ぎ出され
家族が最後の別れに一礼する

本当に
旅立って行く
今生の別れである

瞬く間に
遺骸は河の奥深い所へ還り
舟上の男が
最後の一礼をして
岸へと折り返す

宿への帰り道
おしゃべりなサイクルリクシャーの運転手が
車輪を漕ぎ漕ぎ、身の上を語る
村では、一日三十ルピーしか稼げない
だからバラナシへ出て来たと

「サー(旦那)、このリクシャーは
ボスから一日七十ルピーで借りとるでな。
子供は、五人おるよ!」 

“『生物は生命が去れば死ぬ。
しかし、生命が死ぬのではない』

ウッダーラカ・アールニはまたある時、
息子のシヴェータケートゥにこう言って伝えたと言う” 






バラナシ、ガンガーの祈りの儀式、
ダシャーシュワメード・ガートのプージャ (2012年12月23日18:46、録音)


画像


映画撮影に参加して、少し得意げな表情のサドゥ達。ムンシー・ガート。

Flickr / Dharma Bums / Banaras India 2012

http://www.flickr.com/photos/116171756@N05/sets/72157640490751833/

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