|
あなた一筋煙もなびく 恋の始発の宿場町 日切地蔵さんに願いをかけて 一路川根路 汽車の旅 SL音頭 / 大井川鐵道 ------------------------------------------------------------------------------------------------- 22日は、東海道本線東京駅5時46分出発。一路、大井川鐵道SL紀行。 今月初旬、次回作に『虫歯鉄道』を控える、Sugarless Factoryの武藤くんより、 SL取材の打診。脚本完成前に一度、実際の蒸気機関車に乗車、取材したいとの申し出。 23,4年前、僕の少年時代の朧げな思い出の中で、確か静岡の大井川鐵道がSLの動態保存を 行っているという記憶から、取材目的地を大井川鐵道大井川本線へと決定したのであった。 始発ギリギリで、東京発沼津行普通列車に乗り込み、発車後列車内にて武藤くんと合流。 早朝の為、お互い半分目を閉じながら東海道を西へ西へと向かう。「SL」という言葉の響きに、 何がしかの感情を思い起こさせられるのは、かつて「男の子」であった自分もまた、例外なくその一人である。 いきなり時は遡るが、幼稚園児であった頃の僕は、「ゲゲゲの鬼太郎」と「銀河鉄道999」の 大ファンであった。(まだリモコンのない、ダイアル式でガチャガチャとチャンネルを変える方式のテレビ。 後に僕の家の初代ガチャガチャ・テレビは、両番組が放映されていた8チャンネルが映らなくなるという、 未曾有の悲劇を経験した。)自分で字が書けるようになってからは、ノートに毎週登場する妖怪の名前を 書き付け、妖怪の研究は昆虫の研究同様、僕にとって大事な一大研究対象であった。と同時に、 おそらく今から振り返って、計らずも僕の価値観に大きな影響を及ぼしてしまったと推測されるのが、 後者の「銀河鉄道999」である。蒸気機関車の汽笛と共に幕を開けるこの旅物語は、本を読む能力を 身につける前の3,4歳児のガキんちょにとっては、大元の原作童話である宮沢賢治、「銀河鉄道の夜」以上 の影響力を持っていた。で。また時間を今に戻して。武藤くんと漫画創世記の漫画家たちの凄味について、 少し話し合う。手塚治虫にしろ、水木しげるにしろ、松本零士にしろ。戦争を経験している作家たちは、 子ども向けでありながら、時折異常なほどの感情の噴出を見せることについて云々。そんなこと、 子ども頃はなんにも考えてなかったけど。今思うと自分たちは、望む望まぬにかかわらず、明らかに 戦後世代の大人たちの感性の中を成長して来たのだと思う。貧しさの中で歯を食いしばって生きて来た世代。 (心の名曲。歌詞が素晴らしい。http://jp.youtube.com/watch?v=abbk3dGH4Rw&NR=1) そして、日本の蒸気機関車のイメージには、どうも牧歌的な部分以上に、希望を胸に故郷を離れるような、 重々しくけたたましくもある汽笛、頑固で強固な人間の意思を代弁するような何かを彷彿させるものがある。 沼津より米原行普通列車へ乗り換え。続いて、金谷駅にて大井川鐵道へ乗り換え。 もう小さい頃に乗った記憶の細部は、ほとんど覚えていない。駅舎はとても小さく、隣の大井川鐵道駅舎も こじんまりとかわいい。SUICAだとかPASMOだとかいった時代に、依然として厚く固いボール紙の切符。 そこに懐かしい改札鋏が入る。やたら歯切れ良く喋る高校生のように若い駅員さんから切符を買う。 接続がギリギリであった為、機関車を見ることもなく急いで客車へ。汽笛とともに、ガタンゴトンとやたら 揺れながら列車は出発。乗ってたちまち僕らは童心に帰る。客車は昭和十〜二十年代、国鉄東海道本線を 走っていた、当時最新鋭の車両と説明がある。両手でガタガタとやたら重い車窓を上げると、やがて風景は 茶畑と大井川の河川敷の風景へ。窓枠に出来過ぎと思ってしまうほどのナイスな蜘蛛の巣。天井には扇風機。 途中で遠足の幼稚園児の集団が乗車。他の乗客は極めて少なく、おばさんの車掌さんがハーモニカを 吹き鳴らし、幼稚園児たちと童謡の大合唱が始まる。田園から手を振るお百姓さん。80年前にタイムスリップ。 車窓から顔を出して、前方の機関車の姿を追う。ススキの穂に顔をぶたれる。アウチ。顔は黒煙で真っ黒。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------- どんぐりころころ / 作詞 青木存義、作曲 梁田貞 どんぐりころころ どんぶりこ お池にはまって さあ大変 どじょうが出て来て こんにちは ぼっちゃん一緒に 遊びましょう どんぐりころころ よろこんで しばらく一緒に 遊んだが やっぱりお山が 恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた とんぼのめがね / 作詞 額賀誠志 作曲 平井康三郎 とんぼのめがねは 水色めがね 青いお空を飛んだから 飛んだから とんぼのめがねは ぴかぴかめがね おてんと様を見てたから 見てたから とんぼのめがねは 赤色めがね 夕やけ雲を飛んだから 飛んだから 汽車ぽっぽ / 作詞 御殿場の小学校の先生 きしゃ きしゃ ぽっぽ ぽっぽ しゅっぽ しゅっぽ しゅっぽっぽ ぼくらをのせて しゅっぽ しゅっぽ しゅっぽっぽ すぴーど すぴーど まどのそと はたけも とぶとぶ いえもとぶ はしれ はしれ はしれ てっきょうだ てっきょうだ たのしいな きしゃ きしゃ ぽっぽ ぽっぽ しゅっぽ しゅっぽ しゅっぽっぽ きてきをならし しゅっぽ しゅっぽ しゅっぽっぽ ゆかいだ ゆかいだ いいながめ のはらだ はやしだ ほら やまだ はしれ はしれ はしれ とんねるだ とんねるだ うれしいな 素晴らしい唄声を披露してくれた、大井川少年少女合唱団。 ------------------------------------------------------------------------------ これらの童謡の合唱が続き。 「線路はつづくよ」で園児たち、ヒートアップ。 線路はつづくよどこまでも / 作詞 佐木敏 アメリカ民謡 編曲 吉川和夫 線路はつづくよ どこまでも 野をこえ 山こえ 谷こえて はるかな町まで ぼくたちの たのしい旅の夢 つないでる 線路はうたうよ いつまでも 列車のひびきを 追いかけて リズムにあわせて ぼくたちも たのしい旅の歌 うたおうよ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ラン ラン ラン ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ランラ ラン 参考資料 http://www.worldfolksong.com/songbook/usa/railroad.htm ------------------------------------------------------------------------- それにしても子どもたちの楽しそうな事。こんなに生き生きとした歌声は、なかなかない。 ラストは、車掌のおばさん小さなラジカセ片手に、「SL音頭」なる歌を披露。 SL音頭 / 大井川鐵道 あなた一筋煙もなびく 恋の始発の宿場町 日切地蔵さんに願いをかけて 一路川根路 汽車の旅 (ア、ソレ) 唄え 踊れや SL音頭 シュシュポポ シュシュポポ シュシュポッポ 愛のためなら鵜山の瀬でも 超えてゆきます鹿ん舞 川根銘茶の香りの中を 走るSL 山の旅〜 (ア、ソレ) 唄え 踊れや SL音頭 シュシュポポ シュシュポポ シュシュポッポ〜 車掌のおばさん曰く、「まもなく、右手に露天風呂の人たちが見えます。」すると。 大井川の鉄橋越し、右手前方に裸のじいちゃんたちが「お〜い、お〜い!」と手を振っている…。 とにかく、沿線の人々は老若男女、みんなこっちに手を振るのだ。まったく知らない人に手を振るという行為。 こういったことが、昔の日本人には普通にあったのだろうなあと思う。やっぱり。戦後の日本人が失った ものは、モノ凄く大きいような気がしてくる。この古ぼけた客車に乗っていると。自分が、出稼ぎ労働者か、 出征兵士のような気持にさえなって来てしまうのだから。環境が人に与える影響の大きさを改めて感じる。 財布がいつの間にかカラッポだった我々は、銀行のATMがある終着駅の千頭(せんず)を目指す。 途中、車内販売のおばさんがこの辺りのお茶の美味さや、吊り橋の話等をこなれた話術で語ってくれる。 話が一通り終わると、機関車のオモチャがたくさん出て来て、チョロQ型機関車を車内で披露。…ユルい。 ATMの場所を武藤くんが聞くと、車掌のおばさん、乗務員のにいちゃんみんなで、場所を教えてくれる。 「ATM?ATS(自動列車停止装置)かと思った(笑)。アハハ。」とか、ゆるいノリの乗務員のにいちゃん。 見た目高校球児みたいな若々しさで、駅に汽車が止まる度に、手動で客車のドアを開けていく。そうか、 昔は駅に着く度に、こうやって人が一個一個ドアを開けたり閉めたりしてたんだなと、妙な新発見。 それにしても。大井川鐵道の人々は、受け答えがひとつとしてマニュアル口調ではなく、近所の人と話す ような感覚と言うか。「私ももう少しお金があったら、あげられるんですけどねえ。」とかユーモアも満載。 終点、千頭(せんず)。ここで蒸気機関車が走る大井川本線は終了。ここより大井川上流は、いまや日本で 唯一となったアプト式鉄道、井川線が走る。ここでしばらく、武藤くんの機関車取材が始まる。機関士さんに 機関室に入らせてもらい、運転席にも入らせてもらった。とにかく怪物のような黒い鉄の塊に、様々なレバーや 計器機器類が取り付けられている。石炭を投げ入れる火室の辺りは熱く、まるで大きな生き物の腹のようだ。 現在、蒸気機関車には必須の燃料である石炭は、国内では唯一釧路炭鉱のみが稼働中。大井川鐵道は ベトナム産等の東南アジア産の石炭を使用しているらしい。冬は火室でついでに焼き芋も作ると言う。 一旦、改札を出させて貰って単身ATMへ向かう。帰って来ると武藤くん、ホームの川根茶屋台で、 緑茶の試飲をしている。静岡のお茶は渋い。車内販売のおばちゃんの話によると、味を和らげている ペットボトルの緑茶は不味いらしい。濃く渋い茶が味わい深いと。 無事切符の清算をし、千頭の小さな山間の町に繰り出す。もうひとつの旅の目的、温泉を探すのだった。 まず大井川の広大な河原に出てしばし休憩。川の水は足を浸すにはまだ心地よく。水は澄んでいた。 が。何故か町で唯一の温泉が休み。駅前の観光案内所にて、「創造と生きがいの湯」という仰々しい 温泉を教えて貰う。大井川を向こう岸に渡り、暫くするとぽつねんと、シルバー・センター風の小さな建物が 見えてくる。温泉は一人150円。先客は、お爺さんお一人。湯舟に浸かりつつ。お爺さんに、「ここら辺で 美味しいのはやっぱ蕎麦ですか?」と聞くと、「蕎麦は普通。やっぱ芋だな。里芋。山芋。」確かに駅弁にも 山芋と里芋が入っていて美味かったので納得。ちなみに魚釣りのシーズンは夏だと言う。お爺さんの方言が 一部分からなく、全て正確に聞き取ることは出来なかったが、貴重な地産地消情報をGETにて、温泉を出る。 帰路も蒸気機関車牽引列車に乗る。帰りは、機関車がお尻を向けて逆走するのだ。尻向け機関車に乗るのは 初めてだったので、面白かった。大井川鐵道は、機関車一つ一つの形式も違うし、客車の形式も違って、 このように運転形式も異なるので、いろんな表情の列車に出会える。西日本の大手私鉄の引退車両や、 出征機関車として戦時中にタイにまで行っていた機関車を回収修理して使っていたりと、面白い事をたくさん やっている。それにしても。この古い客車に乗っていると、いろいろと感慨深くなる。それと絵に描いたような この日本の原風景の中で、日本人についていろいろと考えてしまった。そもそも蒸気機関は、産業革命という 人類の歴史を一変させるような出来事の主犯格、張本人であり、日本人もまた、海からやって来た蒸気船の 空砲によって、封建社会の安眠から目を覚まされるハメとなった。蒸気機関は、まったく奇天烈な異文化の 象徴から、いつしか日本の原風景の中でなくてはならない一要素にまで馴染み込んだ。アメリカと戦争して みたり、経済大国になっちゃったり、バブルが弾けたり。今度は、またまたアメリカ発の世界同時恐慌だって 言う話じゃないか。でもこの長閑な風景を見てると。そういう話もなんだか他人事のようにさえ思えてしまう。 でも。こういう景色、社会、人々を守り続ける為に。日本人はがむしゃら頑張って来たのだと思うのだ。 20数年ぶりに訪れた大井川は、少年時代の思い出そのままの情景を残したまま、変わらずそこにあった。 ペリー提督が江戸幕府に献上した蒸気車。 金谷駅の売店のおばちゃんに、美味いモノ情報を聞いた武藤くんの提案で、静岡駅へ立ち寄り、 とろろ飯定食と静岡おでんの黒はんぺんを食す。機関車、茶畑、合唱、大井川、温泉、ヤマメの甘露煮、 とろろ飯、里芋、川路茶、黒はんぺん…。帰り小田原からの小田急にて、SLの地酒を呑みつつ。 我々は、西暦2008年の東京へと逆タイムスリップするのであった。SL紀行2008、これにて完。 大井川鐵道 HP http://www.oigawa-railway.co.jp/ |
| << 前記事(2008/10/12) | トップへ | 後記事(2008/11/08)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
正直、列車とかSLには興味は無かったのです。 |
S・F 2008/11/03 21:57 |
そうなんだ。俺は子供の時は、 |
miyata 2008/11/03 23:10 |
| << 前記事(2008/10/12) | トップへ | 後記事(2008/11/08)>> |