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zoom RSS 『太陽(ソンツェ)』、神から人へ。

<<   作成日時 : 2006/08/10 01:45   >>

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ようやく今夏、日本での公開が実現したと言う。
ロシアの映画監督、アレクサンドル・ニコラエビッチ・ソクーロフが
2004年に製作した、『太陽(ソンツェ)』を観てみる。

「最後の日本人は私だけであるということにならないかね?」
昭和二十年、八月

主人公である、昭和天皇裕仁の
無条件降伏と人間宣言への決断の苦悩と葛藤に焦点を当てた作品。
日本人だと、思わず思考停止に陥ってしまうような題材を、さらりと作品化。
わずか半世紀前まで、神として存在させられてしまった1人の人間にまつわる悲喜劇。
日本人とその国が思念し、現前化させた「天皇」を外から眺めることの出来る作品。

イギリスだったら個人的には、SEX PISTOLSが女王の写真や国歌を
パロディったりしたことや、THE SMITHSの、『QUEEN IS DEAD』というタイトルの
アルバムがあったりしたこと等、分かりやすい反抗の例を思い起こしたりもするけれど、
反面日本では、権威に対して意外と禁忌の姿勢が強く残されていたりする。
日本人にとって「天皇」は、近代以前「お稲荷さん」に近い庶民的存在でもあったからだ。
キリスト教世界なら、皇帝も王も世俗の人間に過ぎないから、嫌なら国民は叩ける。
しかし日本では、「天皇」は世界を創造した太陽神の子孫ということになっていた(いる)。

それは、マッカーサーという、一人のアメリカ軍人が直面した困惑にも現れている。
簡単には善悪に二元還元出来ない、曖昧模糊で不可思議に神々しい、
「天皇」という存在。そこには、かつて太陽を神と崇めた古代日本人の神性と魔性を
引きずった結果、現代に残存することになった「天皇」という存在を戴き(もしくは利用し)、
しなくていい戦争をして必然的に敗れた、日本という国の特異性と悲劇性をも物語っている。

無条件降伏が、超法規的に昭和天皇一人の意志で決定したというのも象徴的だ。
(実際彼が正直に開戦を阻止しようとしていたら、彼はその時点で消されただろう。)
日本は古い歴史のある国だけれど、本当の意味で国民が政治を動かし始めて、
実はまだ、60年しか経っていないということに、改めて気づかされる映画だったなあ。

最早、ここでの昭和天皇はチャップリンでさえある。
理解し難い何かは残りつつも、いくつかの場面で思わず笑ってしまった。
(配役のせいかな?)とにかく、戦争は恐ろしいな。みんな狂って、みんな死ぬから。

四方の海みな同胞と思う世に

など波風の立ちさわぐらむ

明治天皇



『太陽(ソンツェ)』 HP

http://taiyo-movie.com/intro.html



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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
映画見てないけど、どうなんでしょう?悲喜劇なの?
演出した側が配役で観客を笑わせようとしたのには、少し嫌悪感。見てないから
なんとも言えないけど。天皇だって人間でしょ。昭和天皇だって誰かの夫で
お父さんで、おじいちゃんでしょ。誰も神だとは思っていなかったでしょう。
日本の歴史詳しく知らないけどさ。まぁ 当の本人しか分からないかもね。死人に口無しか。
戦争映画でお勧めはスピルバーグの「太陽の帝国」泣けます。ストーリー忘れた
けど、子供の時観て泣いた記憶があります。
katumasa
2006/08/10 23:28
観てないでそういう発言しちゃ、ダメだよ。katumasaさん。
演出した側が配役で笑わせたとは、一言も述べていません。
自分が笑ってしまった場面があったというだけのことです。
人であるなら、どんなにシリアスな状況にあっても、
どこかしら滑稽さを伴ってしまうものだと考えます。
その表現が巧かった。それと、「天皇だって人間でしょ。」
ということこそこの映画のテーマです。
そういう当たり前のことが、口に出せなかった時代があった
ということの告発です。「裸の王様」です。
誰もが真実に気づいていながら、口に出せない状況というのが、
一番恐ろしいと感じる。映画というものは、
フィクションとして、嘘として、その先にある真実を描く
ものであるとも言われています。この映画には、
泣いても済まされない。という状況と責任について
考えさせられた。当人にしか分からないという状況は当たり前。
そこをどういうものであったかと想像し描いているという点に、
意味があると思う。その苦しみを想像する、いい機会でした。
miyata
2006/08/11 00:39
今日はヤフー発のゆりのき経由のCAT行きでしたが、最初に乗り込んだ電車が2004年3月のCAT掲示板着でした。何も知らずに下車すると、ちょうどゆりのき楽団のライブ後の書き込みで宮田氏の感想に清水氏が礼を返しているところでした。微笑ましいタイムスリップでした。

僕は常々、ここ最近、愛子ちゃんがまだ小さいのに、あれやこれやと周りが騒いで
可哀想だなぁと思っていたところの、上記の映画紹介でしたので、少々、大人げなく
興奮しちゃいました。愛子ちゃんが感じるであろうこれからの苦しみを想像すると
どうもね。センシティブな題材でしょ。
と今日のはコメントの解説と云うことで。
「太陽の帝国」では日本に落とされた原爆を上手に用いていました。
巧いと評するには、その光の下、多くの人が死んだので不謹慎かもしれませんがね。
映画に限らず小説や音楽、芸術全般、戦争を経験して生まれて来た作品が
持つパワーは観ている者(戦争を経験していない者)に大きな感銘を与えますね。
戦争と芸術か。鶏と卵か。難しい問題だ。
少し考えます。お邪魔しました。





かつまさ
2006/08/11 22:09
なるほどね。そういう話なら頷けますね。
僕らどうしても現代の常識で物事を秤にかけてしまうわけで。
理解し、飲み込むには当時の倫理観など翻訳的考察も
必要と思います。それでも一方、人として感じることは
今も昔もきっと同じですよね。可哀想だとか、苦しそうだとか。
そういう理屈抜きのトコロで。一番大事なコトですよね。
去年かなあ?テレビで原爆開発者が、
広島を訪れて、被爆者の人たちと平和公園で対話するという
企画を観たことがあります。対話は、両者の見解の不一致
のまま、平行線を辿って終わっていました。
なんともやり切れない番組でした。

『小さな恋のメロディ』というあの素敵な映画を作った制作者、
デーヴィット・パットナム(当時、三十歳)は言っています。
「世の中はもうめちゃくちゃだ。
僕たちがこの世界を救うには遅過ぎる。
次の世代に期待を繋ぐしか他に道は残されていない。」と。

まず伝えたいことがあって、そのために技巧を用いるというのが
モノ作りの基本姿勢だと思います。
逆じゃ何も伝わりませんよネ。
miyata
2006/08/11 23:34

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